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EP.009 Bricolage17 空本健一 / KENICHI SORAMOTO(耕人・広島)前編/後編

江田島ポタジェ&レストラン Bricolage17
@soramotokenichi

”安佐南区祇園山本 銀山門前通りの裏通りにあったユーズドセレクトショップRiCKLE!を2019年11月3日に幸せな閉店をさせ、故郷江田島にUターン。2020年11月3日、江田島市沖美町の四郎五郎岬にあった夢来来の地に、江田島ポタジェ&レストラン bricolage17をオープン。長束にあるギャラリーキヲクの空箱と江田島のニ拠点生活をしながら島暮らしの魅力を発信している。”

keyword 前編
古着屋リックル時代の空さんと雅さんとの出会い.  いつか帰ろうと思っていた江田島にUターン.  せっかくだったらちょっと早めに帰ってもいいんじゃないか.  飲食店はツールだった.  はじめての飲食店.  食材選び食材探し.  食材探しは島でやる.  これいいなと思ったものだけを並べる.  こだわったものを持ってきてくれていた.  個性豊かなお客さんが集まってくる.  年数を重ねて面白くなってきた.  場をつくるための表現方法としてたまたま古着屋さんだった.  汽水域.  うっかり住みたいわを生み出したい.  島の内と外が交じり合う日.  ある日突然閃く.  いつもアンテナを張っている.  パチン.  人を呼び寄せちゃう魅力.  葉っぱで買い物.  種を蒔く.  葉っぱとお金を両替.  日本円に変換される瞬間.  それってだたの紙きれだけど.  お金の正体.  豊かさが生じる日.  目に見えないバトンの受け渡し.  想像力をはたらかせる時間.  スイッチ.  食べられる庭.  ポタジェから摘む.  いのちの循環.  食べられる森がモリモリに育っている庭.  土と微生物.  ブリコラージュすること.  0をどの位置にもってくるのか.  0の掴み方.  この世界にリアル0は本当は少ないのかもしれない.  ここにあるんだよ.  すくう行為ができる人.  やりたくなるという動機.  あるよねを話し合える場.  言葉さえも.  説明するとは.  共感することよりも、体験を一緒にしていくこと.  当たり前のように美しい景色.  

keyword 後編
野生の思考.  ブリコラージュ.  さて、何をつくろうかな.  即興的に.  身土不二.  ないならないで仕方ない.  地球規模で感じる.  我耕す故に我あり.  目線は100年先を視点は地球を俯瞰して今いる場所を耕せ.  今日一日をちゃんと生きる.  微生物から世界をみる.  聴き方.  出会い直す.  継続すること.  積み重ねていること.  動き続けるからこそ見えること.  道.  同じなんだけど違う.  未完.  美しい終わらせ方.  毎日を美しく終わる.  死生観.  いつか迎える死を思って今日をはじめる.  いつかその日に向かって積み減らす.  生命活動をする.  自分にできる唯一のこと.  知らない自分が眠っている.  BABY.  3人だったんだ.  終わらせ方をイメージしよう.  ビッグピリオド.  スモールピリオド.  いかに美しく打てるように日々を生きるか.  逆に打たないと?.

--miyabi
トークの終盤での日本の道の話。
終わりなき道を極める行為や、剣道の一振りも一回目の一振りと数十年の積み重ねの一振りは同じようで全く異なる。この差異の積み重ねに興味を持ちました。

それと、ブリコラージュはフランス語から由来しているのですが、空さんが行っていることに日本のこころ的なものを感じるなぁと思いました。

--kenichi
2015年9月
ナショナルジオグラフィック
アリくんが空本にインタビューして書いたコラムが掲載されたの。
https://www.nationalgeographic.com/culture/article/the-way-of-coffee-japan-brews-up-its-own-unique-culture

WAY OF COFFEE
do=道

日本人のユニークな特長として、道がある。コーヒーも「道」の感覚で「珈琲道」として極めたいと考える日本人がいる。

茶道、香道、書道、
柔道、剣道、合気道、空手道

野球だって、野球道という捉え方してるし、日本人は、よっぽど「道」が好きよね。

--ayako
道というのも不思議なもので、歩きつづけるからこそ道になるし、止まって振り返ってはじめて気づくものだとしたら、やはり、ピリはじにも共通点がありますね。

一つひとつの動作は小さいけれど、積み重ねることでいつからというわけでもないけど、確実に進歩してるってことをなぜだか私たちは知っているような気がします。

--kenichi
外国人からすると、この「道」の概念は、とても日本人独特のユニークなものだと捉えてるみたい。わたしたち日本人には、当たり前すぎて意識の中にデフォルトOSとしてインストールされてるんでしょうねぇ。

瞑想とか、禅の世界が世界でも注目されて久しいが、目指す境地は、「無」の世界?

そこは、ゴールなのか?
ゼロなのか、1なのか。

bricolage17のポタジェの草むしり、大変でしょう、とよく尋ねられるけど、その時間って結構好き。無になれるんよね。

アクティブ・メディテーション。
動的瞑想なのよ。

道に通じてると思う。

--ayako
動的瞑想、なるほど…
無心でただ草をむしっているんだけど、そのリズムがただ心地よい。ししおどし的な心地よさがあるなと想像しつつ、

しかしながら、決して機械的な単純作業でもない。これがもし工業での単純作業だったら例え一定リズムで作業していたとしても心地よくはなくて、ましてや瞑想の境地なんて遠すぎると思ったのですが、この差はいったい何なのでしょう。

もしかすると「無」というのは、存在がゼロというわけではないのかもしれません。

--miyabi
写経とかも瞑想の一つに思うのだけど。雑念がなくなることで集中力が高まると思うの。集中力が高まってゾーンに入ってる時って、どんな感覚かというと、理性的に頭で考えているのではなくて、潜在的なものにアクセスしているような感覚。だから、内側に蓄積されていったものに無意識にアクセスする時間、うちなる自分に繋がる時間の要素も感じる。

だから、無は外に対してで、外への意識を無にすることで、内にある、認識できていなかった「うちなる蓄積されたもの」が「在る」に変わる瞬間なような気もする。

--ayako
自分の内側にアクセスしているとき。なるほどです!とてもしっくりきます!ヨガをやっているときも同じような感覚で、外への意識ではなく、自分の内側と向き合う時間がとても心地よくて、集中している対象が自分の内側ってことですね!

機械的な単純作業は、自分の集中力とか思考は停止してしまっているので余計な雑念考え放題…笑

アクセスしている対象が違ったってことですね!

--miyabi
そう!内側にアクセスしてる感じ!

--kenichi
江田島の大柿町に、宝持寺という禅寺があって、たまに、座禅をしに行かせてもらってるのだけど、座禅の教えは、「思い手放し、今、ここ、ただ坐る」のだそう。

悟ろうだなんて頭で考えちゃだめ。
無心になろうなろうとしてもだめ。
ただ、姿勢を正し、ただ座る。

でも、やってみると、なかなかそーはいかんのよねー。40分の坐禅を「一柱(いっちゅう)」と呼ぶのだけど、(お線香が一本燃え尽きる時間)、いつも、二柱坐るのね。そしたら、2本目の途中くらいから、空っぽになる感覚がたまにあるの。

時間が止まってる?
ワシはどこにいる?
意識はあるのに、無意識のような。

この体感は、日常生活の中では体験できないので、とても良い時間なの。草むしりとかは、また違った感覚で、手や身体を動かしながらの無心な状態になれる。

「無」になるって書いたけど、「無」でなくて、雑念のない無心状態、これは内側へのアクセスが成功してる状態だなー。

外側のあらゆる事象が気にならない状態。暑い、とか、寒い、とかの感覚もなく。

--kenichi
ハナシかわるケド、
この本が良かったー

--miyabi
生まれることと亡くなることは背中合わせ

・どっち側からドアを開けるかの違い
・こちら側からは出口でも、向こうから見れば入口です。
・ぐるぐると姿を変えて、ただ回っているだけです。
・始まりも終わりも、基本的にはないものだと思っています。

なんだかとってもピリはじっぽくもあります!

--kenichi
すべては私の人生の結果。
生きてきた時間の結晶が、今だ。
だから、私が私の人生を祝福しなくて、誰が祝福するの?

--kenichi
今というこの瞬間に集中していれば、過去のことで、くよくよ悩むことも、未来のことに心配を巡らせることもなくなる。私の人生には「今」しか存在しなくなる。

--kenichi
もう、読んでて、涙腺崩壊(T-T)
めっちゃ泣けたー

--miyabi
最近、自分軸を持とう。自分を大事にしようという言葉をよく見ます。これって本当にそうだなぁと思って。自分が1番自分のことをわかっていて、理解者でありたい。

誰かと比べることや誰かに好かれることを考えるよりも先に、自分で自分を好きであれる自分にならなきゃと思います。

--miyabi
そして、今に集中するっていいですね!

--kenichi 54歳の誕生日に。

--miyabi
お誕生日に素敵な言葉のギフトですね。

--ayako
なぜ、いま自分がここにいるのか
ふと考えることがあります。
そして、なぜ、わたしはわたしなのか。

ふと考えが思い浮かぶだけで
具体的な答えはなくいつのまにか日常に溶け出すのですが、

なぜだかは分からないけど今ここにいる意味は、なんとなく分かるような気がしていて、今ここにいる意味がちゃんと感じられてさえいれば、いいのかもしれないと思いました◎

--ayako
言葉のギフトのお福分け、
ありがとうございます♩

--kenichi
アフタートークのやり取りって、不思議な感覚だったなー。ふつうのLINEのやりとりだと、リアクションじやない。

即レス!
スタンプ!
ポンポンポーン!て。

でも、あやこちゃんと、きゃりーのコトバを一旦受け止めて、咀嚼して、考えて、コトバとしてまた返す。この時間差が、なんとも、楽しかった。

--kenichi
で、明日で終わりですーと、スモールピリオドの予告されて急に焦る^ ^
あ、終わっちゃうのねって。

なんか、まだ、言いたりなかったこと、あったような、と。

--miyabi
音声での対話とも異なりますよね。
お手紙のようなやり取り。
それこそ余白を読み合うような。

音声でしか伝わらない温度感を。
アフタートークでは熟成を。
この2つを体感することも新たな気づきにつながりますよね!

そして、物足りないぐらいが、問い続けることに繋がっていくのかもしれないです。

--ayako
タイムラグと余白がいい塩梅になってくれてますね。おいしく熟成させるための、ほんの一つまみ。

--kenichi
うん。

--kenichi
noteに、テキストとして残ることを意識したら、流れて消え去るSNSツールとは違った反応をした自分がいた。

ワシはそれこそ、Windows95が発売され、インターネット時代の幕開けを20代前半の社会人として体験してきて、わりと早くからメルマガや、ブログを通じてパソコンで文章を書くことを意識してきたの。

2008年のiPhone発売でスマホになり、facebookの登場で発信のメインはSNSへと。ちゃんとした文章を書く頻度が減ったなぁ、と、しみじみ。

誰でも発信者になれる世界がやってきて、文字から写真、映像へと。多様性の拡張で、逆に問われるオリジナリティ、アイデンティティ、リベラルアーツ、フィロソフィー。

ワシらしさって何?

--miyabi
「わたしらしさ」も常に変動していっているのかもしれません。長い時間でも、瞬間瞬間の時間でも。

だからこそ、瞬間を精一杯生きることも大事だし、答えのない問いを問い続けることも大事なのかも。

それこそ、ピリはじのように、問い続けること、人生を歩み続けることで、「わたしらしさ」が立ち現れるのかもしれませんね。ちょっと道にも似てますね。

--kenichi
ワシらしさを問い続ける。
全身全霊の一振りを積み重ねる。否、積み減らす。
ほぅ「ワシ道」か( ̄∀ ̄)

--kenichi
ピリはじのおかげで、自分を見つめ直す、あ、ピリはじ的表現だと、「出会い直す」機会をもらって、とーっても良かった♡
あやこちゃん、きゃりーちゃん、ありがとー♬

--miyabi
こちらこそ、空さんのおかげで一瞬一瞬を大切にしようと改めて思うことができました。楽しいトークをありがとうございました!

--ayako
タイムカプセルみたいに、この言葉の宝物たちと出会い直す未来もまたたのしみ!空さんありがとうございました♩

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