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小説:見えない海と女の子

 高校一年の時だった。どういう理由だったかは忘れたが、夏休みの最終日に塩川と一緒に夜の海へ行ったことがあった。
 思春期の、悪くて冴えない頭を持った男子高校生たちが、誰もいない地元の海辺で何をしたかったのかわからないが、何をしたかは覚えている。僕たちは女の子と話をしたのだ。正確に言うと、話したのは塩川の方で、僕はその場にいただけに過ぎなかったが。
 とにかく、僕たちは街灯と月光を頼りに、いつの間にか砂浜に座り込んでいたその子を見付けた。本当に唐突に気付いたので、僕は最初に暗闇の中でその姿を見た時にびっくりして恐いと思ってしまったのだが、恐いと言うならその後話している間もずっとそうだったし、何だったら僕は未だに全ての女の子を怖れ続けている。
 そういうわけで、僕はその子に近付いて声をかけたりなどできるはずもなかったが、塩川は何度か女の子の方をちらちらと見ながら、「あんな子見たことあるか?」とか「俺たちより年上かな」とか僕に向かって小声で言い、少しニヤつきながら僕の背中を強引に押し、並んで進み始めた。僕を一緒に連れて行ったのは、恐らく塩川も女の子を恐れていたからだと思うが、僕は無理やり背中を押されながらも、そのことに言及することなく歩を進めた。結局のところ、僕らはみんな女の子が恐いから近付いてしまうのだろうし、生きていく上で恐いものに近付くというのは必要なことなのかもしれない。
 女の子の姿ははっきりと覚えていない。思い出そうとしても、ぼんやりと髪は黒だったとか、白っぽい服を着ていたくらいの情報しか浮かんでこない。ただ、その子は僕たちよりも少し年上で、普段はこの街ではなくもっと都会の方に住んでいて、この街に来たのは二回目で、幼い子供が一人いて、とにかく難しいことをしなければいけない状態であったらしいということは覚えている。そういう話を砂浜に座って聞いている間、僕はほとんど海を見ていた。きらきらと微かな光を反射する波と、その一寸先に広がっている暗闇を見ていた。女の子を見るよりも、そっちを見ている方が少し安心した。女の子は終始穏やかな口調で話していたし、時折目を向けた時に見えた表情も、その口調と一致するものであったように思う。身に起こっている出来事だけが、それらと一致していなかった。
「色々あるんですね」
 塩川は女の子の話を聞いて一言そう言った。そんなことは誰のどんな話を聞いても言えるだろうと一瞬思ったが、だからこそそう言うべきだと思い直し、僕はまた海を見た。暗くて何も見えず、きっと色々なことがあるであろう海。朝が来て光が差せば、もう少し僕にも見えることがあるのだろう。誰もかれもそうだ。
 僕たちが聞いたのはそれだけだった。初めて会った男子高校生たちにそれだけ話し、女の子はすぐに去っていった。その後僕が街を出るまで、姿を見かけることもなかった。僕はまだ女の子のことが恐いが、朝になってから再会できていたら、少し変わっていたのかとも思う。
 塩川は僕と同時に街を出て、その先で出会った何人かの女の子と仲良くなり、嫌われたりもした。僕はたぶん、嫌われたことがない。遠くから暗い海を見ている。



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