顕示的消費

今週の私はだめだめ人間だった。
土曜が締め切りのバイトのシフト表をまだ書き込めていない。
バイトと言えば、バ先で配布されたメールアドレス登録用紙の手順もまだ踏めていない。
木曜の英語の授業を寝坊して休んだ。
これで3回休んだことになるのでもう後がない。
次休んでしまったら退学確定コースだ。
予約していた病院にも行けなかった。
理由はこれまた単なる寝坊。処方箋をもらわなければ薬が手に入らずじまいだというのに、自分で自分に呆れてしまった。

こういうとき、私は決まって買い物がしたくなる。
100均でちまちま買うような買い物ではなく、ブランド品を一発お買い上げする、というものだ。
そうすると、今まで抱えていたモヤモヤがスカッとするし、何だか自己肯定感も高まった気になる。

先週、大学で「顕示的消費」という言葉を学んだ。
中世(うろ覚えな知識なので悪しからず)のイギリスの中層階級の人々は、
店舗で高級な買い物をし、高級品で身の回りを固めることによって
己の社会的地位を周囲に知らしめていたらしい。
そしてこのような買い物の仕方をどこかの偉い学者さんが「顕示的消費」と名付けたようだ。

この話を聞いて、身に覚えが少しだけあると感じた。
私は、自分自身に対する「顕示的消費」をどうやらしていそうな節がある。
本来「顕示的消費」は富を周囲の人々に見せつけるためにするものだが、
私は私自身に豊かさを見せつけるために高級品を買っているのかもしれない。

私は、高級品を買っている時の自分が好きだ。
唯一自分を好きになれる瞬間だとも言って良いかもしれない。
その品物を購入できるほどの余裕がある自分が誇らしい。
それくらい余裕ができるほど働いて稼いだ自分はもっと誇らしい。
私はメルカリなどで人のおこぼれを買ったりなどしない、
私は私の稼いだ金でブランド物を買う。

掘り下げていくと私がなぜ買い物をストレス発散の捌け口にしているのかが見えてきたのだ。
ちなみに私も時々メルカリでものの売買をしているので、メルカリを馬鹿にするとかそういった意図は先程の文章には全くないので誤解されぬよう。
特にこの話にはこれといったオチがあるわけではない。
自分自身の行動原理の解像度が少しだけ上がったなあ、というだけの話でした。

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