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日芸を受けた時の思い出

私は18歳の時、日芸を受けた。

日芸というのは、日本大学芸術学部のことである。

そもそもなんで受けたのかというと、17歳の時に読んだ太田光の自伝に衝撃を受けたからだ。

その頃の私は高校もロクに行っておらず、友達は誰一人いなかった。

自伝には太田光の歳ごとに内容が書かれている。

高校生の頃の内容はというと、この本の中で一番暗いと言っていい。

高校には友達が一人もおらず、タバコを吸いながら本ばかり読んでいたと書かれている。

高校の頃の私はテレビをほとんど見ておらず、太田光のことも

「どうせ、昔からみんなの中心の人気者だったんだろ」

くらいにしか思ってなかった。

今思えば、なんで太田光の自伝なんか買ったのか見当もつかない。

とにかく、自伝を読んで、太田光の過去と自分の暗い現状の共通点が見いだせて、非常に嬉しかったのを覚えている。

今成功者と言われてる人物も、昔は自分と同じだったんだ!

単純だが、それから私はお笑いの番組を狂ったように見だした。

その頃のYouTubeは規制が今ほど厳しくなくて、過去のテレビ番組のアップが大量にあったのである。

普通の高校生は受験勉強する時期だが、私はお笑い番組を一日10時間くらい見ていた。

お笑いというものに一切縁の無い人生を歩んできたから、ハマり方も尋常ではなかった。

こんなにおもしろいものが、この世の中にはあったのか。

爆笑問題はもちろん、ダウンタウン、とんねるず、バナナマン、おぎやはぎ、劇団ひとり、千原兄弟。

上げだしたらキリがないが、その辺の芸人の動画は特によく見ていた。

ダウンタウンと出会ってからは、私のお笑い熱も更に燃え上がった。

ガキの使い、ごっつええ感じ。

主にこの2つしか見てなかったが、お笑いの破壊力というか、すごさが半端なかった。

書き出すと長くなりそうなんで、今回は書かないことにする。

で、自伝の話に戻ると、太田光は高校卒業後に日芸の演技コースに入って、相方の田中裕二に出会う。

私には目標の大学がなかったから、日芸に入ろうと思った。

それも、爆笑問題と同じ演技コース。

演劇なんかやったこともないのに。

バカだった私は、日芸くらいならノーベンで受かるっしょ?と考えていて、全く勉強しなかった。

そもそも、歌やらダンスの配点が高くて、勉強の仕方がわからない。

結果的には、国語・英語の筆記試験が両方30点程度。

(100点中)

実技試験の方は目も当てられない結果に終わり、当たり前のように落ちた。

ダンス試験の練習時間の時に、前にやたら踊りの上手い女子がいて

「ああ、ここはこういう子が入る場所なんだ」

と悟ってからは、もう途中から諦めていた。

筆記・実技が終わり、駅に向かって帰ろうとする私に、後ろから女子が話しかけてきた。

最初もごもご何か言っていてよくわからなかったが、どうやら駅までの道のり話そう、ということだった。

その子は一緒に演技コースの会場にいた子で、休憩時間は机に突っ伏していた。

見た目も中身も地味な子。

地味な私を同類だと思って話しかけてきたのだろう。

今思えば、女子が初対面の男に向かって話しかけて来るなんて、だいぶ勇気がいったと思う。

電車の中では、一方的に私が話していたと思う。

慣れない土地の東京で話しかけられたのが嬉しかったのだ。

私が高校を辞めて高卒認定を受けたと言ったら、その子は京都の芸者とか中卒でも立派に生活してる人がいる、と言ってくれた。

その他にも私のしょーもない話を優しく受け止めてもらって、感謝しかない。

会話の途中で私の停車駅に到着し、「じゃあね」と言って別れた。

今だったら「喫茶店でもいかね?」とか言えるのだが、その頃の私にはそんな頭は無かった。

その子も試験の出来が悪かったと言ってたんで、日芸には落ちたのかもしれない。

あれから10年くらい経つが、今頃何をしてるんだろう。

私はというと、お笑いの熱は冷め、通信大学で教員免許を取得中である。

本当に人生どうなるかわからない。


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