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半分生かすか、全員で死ぬか?

映画『デシベル』を観ました

日本国内では2023年11月に公開予定の韓国映画『デシベル』を一足お先に関係者試写会で観てきました。

映画の内容は上記の予告編やオフィシャルサイトを見ていただくとして。

公式サイトには「騒ぐな、危険!」というコピーが掲げられていますが、これは完全に「いや、違う、そうじゃない」というやつです。

きっと作品の内容に関する大きなネタバレを避けるために苦慮した上でのコピーかもしれませんが、正直まるで作品内容と異なっています。

そもそも予告編を観ても、「なんか爆弾テロの話?」くらいの印象しか感じられないと思います。

が、これもまた違います。

極度のネタバレを避けたため、本作の持つテーマの根幹がまるで見えにくくなってしまっていて、正直韓国映画によくある爆弾テロ事件モノにしか見えなくなってしまっているのが非常に勿体ないと感じています。

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本質にあるのはトロッコ問題

さすがに公開前の映画作品ですので、ネタバレは私も避けますが、本作『デシベル』が本質として持っているのはいわゆるトロッコ問題なのです。

トロッコ問題:
ある人を助けるために他の人を犠牲にするのは許されるか?という形で功利主義と義務論の対立を扱った倫理学上の問題・課題

Wikipediaより

よくあるトロッコ問題というのは、「線路が分岐器で分かれていてその先には1人と5人の作業員がいる。このままだとトロッコが5人の作業員を殺してしまいます。あなたが分岐器を操作すれば1人を犠牲にすることで5人を救えますがどうしますか?」というものです。

映画『デシベル』の中で提示されるのはまさにこのトロッコ問題なのです。

それも実にどうしようもない状況下で決断が迫られる恐ろしい内容となっています。(このへんの性格の悪さが韓国映画らしい)

まず言っておくと、私はこの映画『デシベル』を観て以来ずっと会う人会う人に聞いて回っています。

この究極のトロッコ問題について、です。

それくらい鮮烈に映画『デシベル』は私の心に楔を打ったのです。

一生忘れられない作品となりました。

それくらい究極完全無欠に面白かったのです。

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半分生かすか、全員で死ぬか?

ネタバレに配慮しつつ、この究極のトロッコ問題について話を進めるとすれば「半分生かすか、全員で死ぬか?」ということです。

その引き金(分岐器)の前にいるのはあなた自身です。

このまま何もしなければ全員死にます。自分も含めてです。

しかし、あなたが決断をすれば半分の人間は生かすことができるかもしれません。

普通に考えれば「え、このままだと自分自身も死んでしまうの?だったら迷うこと無いでしょ、半分生かしましょうよ」と考えると思います。

しかし問題は「半分生かすということは、半分の人間を殺すということ」なんですよ。

半分の人間を生かすために、もう半分の人間を殺せますか?あなたの手で。

「それは誰かにやって欲しい」と言いたくなる気持ちはよくわかります。

しかし、判断を下すことと、手を下すということは同時なのです。

では、もう一度考えてみてください。

半分の人を生かすために、もう半分の人間をあなたの手で殺せますか?

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ほとんどの人がまず殺せない

私の身の回りにいる多くの人間が「自分の手で人を殺すなんてことは出来ません」と答えました。

当然です。「それは誰かにやって欲しい」と、みんなが言います。

しかしそれだと釣り合いません。

「決断はするけど、手は汚したくない」、なんて道理は通らないのです。

そうなると不思議なほどに、みんなが「じゃあ全員で死にましょう」という選択肢を選んでしまうんです。

まさに、これこそがトロッコ問題というやつですね。

この選択は『消極的な義務論』と呼ばれています。

「誰かを生かすために手を汚して誰かを殺すなんて間違っている」

そういった考えのことを指します。

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トロッコ問題に答えは出ています

私自身も映画を観終わった後に、自分自身で考えてみました。「自分だったらどっちを選ぶんだろう」と。

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