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2024土星90度日記(1)オーラソーマのボトルとタイムラインヒーリング

昨日の朝、オーラソーマのボトルの封を開けた。こうしてボトルを使うのは何年ぶりかな?

29歳-サターンリターンの時期に出会ったオーラソーマ。当時会社勤めをしていた頃の2003年あたりから、副業という形ではじめたオーラソーマの活動。会社に勤めながら週末は場所を借りてセッションをしたり、コースのオーガナイズを積極的にしていた。2013年に独立してからは、ボトルを使った一般企業での研修をあちこちでやらせていただいた。ティーチャーを目指そうとLevel 4と当時言われた論文制作にも取り組んで完成したのは勲章的思い出で、どれをとってもすでに懐かしい思い出となっている今日この頃。

オーラソーマを使った活動を自分のプロセスに沿う形で静かに閉じたのが土星のオポジションの頃、2017年あたりだったと思う。ボトルはその後も少し使った記憶があるけれど、とにかく使うのが久しぶりなことだけは、間違えない。実家の仕事のスペースには、ボトル用の棚が今も置いてあって、その中に100本弱のボトルが並んでいる。仕事の合間に、ふと今でもたまに眺めたりしている。

そんなこんなで、先週の中頃あたりだったか、ふと、「そうだ、ボトルを使おう。」と思った。早速、並んでいるボトルを少し離れたところからぼんやり眺めてみると、棚の一番下の列に並んでいる下層がディープマゼンタのボトルに目が引き付けられた。そして、それを使うことにした。目に入ってきたボトルは、110番大天使アンブリエル。画像はこちら。

画像はこちらからお借りしました。
https://artbeing.com/aura-soma/equi/B110.html

このボトルが誕生した当時(2012年5月)、発売と同時にすぐ予約して、届いたと同時に使いだした記憶がある。うちの同じボトルは、上層のペールローズピンクがすでに抜けていて、色はクリアに近い。遠目に見ると、B100大天使メタトロンに近いかな。このB110の上層には、鉱物からの抽出物が入っていて、細やかなパウダー状のものがキラキラと光っている。この手のキラキラ・ラメラメなボトルが当時すごく好きだった。それは今も変わらないんだなあ、なんて思いながら手にとってキラキラを眺めた。

今回ボトルを使おうと思ったのは、数日前に受けたザビエからのアドバイスがきっかけだった。そのアドバイスとは、『今この時期は、身体の心地よさを優先にね。』というものだった。個人的に迎えている天体のトランジットを根拠にしたアドバイスだった(書くと長くなりそうなので詳細は割愛)。

オーラソーマのボトルは、自分の身体に使ってなんぼ。

現役ソーマ―の頃は、実体験を通してこんな風に伝えていた。セッションを受けた人にはぜひボトルを使ってもらいたかったし、たくさんの方が使ってくれて嬉しかった。そして、数年ぶりに自分で使ってみた今、改めてその考えはやはり変わらない。まず、左手でボトルをシェイクする。決められたお作法を身体がちゃんと覚えていた。左手、すなわち身体の左半身で、外から入ってくるものを受け取る。そして、右手・右半身からは、自分のエネルギーを外側へと放っていく。自分の内側を少し感じながら静かにシェイクしたら、手のひらに中身の液体を取り出して、自分の手の赴くままに、身体に塗っていく。

蓋を開けたその日、センサーとして頼り切った自分の両手は、自然に左半身から塗り始めていた。まず足のつま先から塗り始めて、お腹周りを一周して、そして首のあたりまで、しっかり塗った。そんな動作をしながら、B26オレンジのボトルの塗り方をしているなあ、なんて思い出していた。100本を超えるボトルの中で、一番使ったボトルだ。


画像はこちらからお借りしました。
https://artbeing.com/aura-soma/equi/B026.html


塗りながら、このオレンジのボトルに付随するキーワードの一つ、

タイムラインヒーリング

という言葉が浮かんだ。当時、数えきれないほどの色彩言語と呼ばれるボトルのキーワード、暗記が大の苦手な割に、よくぞ覚えていたなあ、なんて振り返る。体験が伴っていたから覚えられたのかな。そして、今になってやっと、そして、しみじみと、その言葉の意味が腑に落ちたりしている。特にここのところ、「過去の自分」をビジュアルと共にぼんやり思い出しているからか、余計にそんなことを思うのかもしれない。鮮明に脳裏に残像が残っている1枚の写真がある。小学1年の時、学校の遠足で撮られた写真。黄色い帽子をかぶって暗い顔をした自分が映っている。同じクラスの女の子たちがくっついて映っているところから、少し離れたところに一人ポツンとかがんだ姿勢で映っている。この残像がいつぶりか思い出せないくらい久しぶりに蘇ったきっかけがある。一緒に映っていた同級生が先月亡くなったことを知った時だった。その残像が思いのほかハッキリと脳裏に浮かんできたことに、わたし自身が驚いてしまった。

残像と一緒に体感を通してやってくる、その頃の苦々しい、鬱々とした暗い気持ち。同い年の子たちの輪に馴染めず、その輪の中心やその周りを取り巻く子たちの存在が眩しすぎたあの頃。いじめたりからかったりしてくる男子たちを心底恨んだ時もあったな、なんて思い出したりしてる。今思えばなんてことないことだけど、当時の幼い自分にとってはそうではなかったことが、今になってようやくわかったりする。もちろん、起きた事実を今更変えられはしないけれど、当時置き去りにしてしまった自分の気持ちを探しに行くことはできる。どうやら、今の大人になった自分が当時の小さな自分のためにできる、限られたことの一つのようだ。その置き去りにした気持ちを今「感じきる」ことで、ようやくその感情(エネルギー)は、昇華されていくのだと知った。

面白いもので、頭で処理しようとすれば素早くできるけれど、感じようとすると一瞬時が止まる。感じたくないのだ、未だに。感じた瞬間から自分の身に起きるであろう状態が怖くてたまらない。そして「心地悪い」という予測は最初から立っている。だから余計に感じたくない。

でも大人になった今なら、自分で自分の面倒がみてあげられる。そんな「大人になった自分」の持てる勇気に、今こそ懸けてみる。

ボトルの液体をボディオイルのように身体に塗りながら、そんな一連の自分の中で起きることを観察していた。自分の身体に自ら触れることは、風エレメントお得意の「自分の意識を思考にとどめておく」ところから自分を引き離してくれる。わたしにっとての43年という月日が流れた後だからこそ実現する、タイムラインのヒーリング。そのための作業を、今回オーラソーマのボトルは手伝ってくれている気がする。

実は、その残像としてのこった写真の実物を手にする勇気が、たった今はまだ持てなかったりする。もう少し時間が経ったら見れると思う。これを書きながら、アルバムを探しに行こうと思った瞬間があった。でもそう思った瞬間から、同時に胸のあたりが苦しくなった。その体感を今は尊重しておこうと思う。無理は禁物。ちょっとの勇気でアルバムに手が届きそう、と感じられた時に見てみようかな。

今は、その感情に触れたことーStep 1ーで十分としよう。

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