280回 Goodnight、Sweetheart


「枕が合わない」という言葉があるくらい、枕は睡眠にとって重要な位置を占める。
我々人間は人生の1/3は寝ているので、その毎日の眠りに使う枕が大事なのは当たり前だ。掛布団や敷布団が合わないということはあまりない。厚みや素材などを季節によって替えれば済むことである。身体に合わない布団などという言い方は、あまり聞いたことがない。
しかし枕となると少々話が違ってくる。枕は布団に比べて、極めてパーソナルな存在と言っても良い。頭の形や首の角度、寝る姿勢や寝返りの頻度など、ひとりひとり異なるため、万人にフィットする枕というものは存在しない。硬さも高さも、単なる好みの問題だけでなく、その人の体型に基づく理想的な形というのがあるのだと思う。
かく言う私も、長い間枕難民であった。

人類と枕の関係は長い。
アウストラロピテクスの頭蓋骨の化石の下に人為的に砕かれた石が敷かれたのが発見されたとはいえ、生きている時にそれを枕として使っていたのかはわからない。そもそも砕かれた石では痛いだろうから、祭祀的な意味と考える方が自然だろう。
ただ人間が横になって寝るとすれば、どうしてもこの重い頭を支える何かが欲しくなるのは道理である。長時間の腕枕で痺れたとしたら、何か代替品を考えるのは当然だ。石や束ねた草を頭の下に敷いて寝ることが自然に起こったとしても不思議ではない。
お馴染み古代エジプトでは、枕は木や大理石でできた硬いヘッドレストであったようだ。枕というよりも単に頭を置く台とでも言うような、とても安眠できそうにない形状である。
7世紀の中国唐の時代には「陶枕(とうちん)」という陶器でできた枕が、大変珍重されたという。不老長寿、良い夢をみるとして人気があったそうで、頭が冷えて気持ちよく眠れただろうと思われる。日本にも鎌倉時代にこの陶枕は入ってきて、瀬戸や有田など陶器の産地で現在に至るまで細々と焼かれているが、あまり一般的にはならなかった。

8世紀に造られた東大寺の正倉院には、「「白練綾大枕 (しろねりあやのおおまくら)」という日本最古の枕が保存されている。筵(むしろ)状のものを箱形に固く束ねて、表に高級な絹で出来た白綾を貼った大型の枕であるが、かっちりとした直方体で高さが28.5cmもある。あまり寝心地が良い代物とは思えない。
日本では長い間、黄楊などから作られた木枕や、菅(すげ)や萱(かや)などの草を使った草枕が使われていた。草枕はやがて、細長い布の袋の中に蕎麦殻や籾殻などを入れて両端を捻って止めた「くくり枕」と呼ばれるものに進化する。
江戸時代前期、長く伸ばした髪を折り曲げて結う「髷(まげ)」という髪型が遊女などから始まり、次第に一般庶民にも広まってくる。この時期所謂「日本髪」を代表する4つの髪型ができたとのこと。かっちりと複雑に結われた日本髪は、いちいち結ったり解いたりするものではないため、当時の洗髪は月に1~2回程度だったそうだ。あとはほつれを治したり櫛で整えたりするだけ。
そうなると日本髪を崩さないように24時間最新の注意を払って維持する必要が生じ、江戸時代後期には木枕とくくり枕を合体させたような「箱枕」が登場する。髪型を潰さないようにある程度高さがあって頭を首のみで支えるこの箱枕。男性の髪型は明治時代には早々に短髪になったが、女性は髪を結う習慣が残っていたこともあり、昭和の初期まで使われていたと言う。
今のような平らな枕が一般的になったのは昭和40年だというから、半世紀前まで枕は高くて硬かったようだ。
現在一般的に使われている枕の原型は、11世紀に十字軍が遠征した時に出会ったイスラム文化圏のクッションだと言われている。中東アラブ地方の遊牧民が、袋に動物の毛や綿を詰めたものを、昼はクッションとして夜は枕として使っていたのを参考にしたそうだ。それをヨーロッパの気候に合わせて中身を羽毛にしたものが、羽毛枕(羽根枕)というわけである。

旅先でホテルの枕が合わなかったことはあるだろうか。
大概のホテルには、硬く高めの枕と柔らかく低めの枕が用意されているが、そのどちらも合わなくて往生したことがある。取っ替え引っ替え使ってみたが、どうしても寝心地が悪く落ち着かない。そうこうしているうちにどんどん時間が経つが一向に眠気が訪れず、とうとう枕無しにしてみても結局良眠はできなかった。
合わない枕を使っているとよく眠れないだけでなく、寝違えることさえある。寝違えというのは、朝起きた時に首から肩にかけて痛みが生じることであり、酷い時には痛みで首が全く動かせない。一度この酷い状態をやってしまい整形外科にかかったが、顔を同じ方向に向けたまま動かせない状態というのは、他から見ればかなり滑稽に見えたに違いない。
寝違えというのは、検査や画像でとらえられるようなものではないらしく、やれ不自然な姿勢による筋肉の阻血(血行が悪くなること)だとか、やれ筋肉に負荷がかかったことによる痙攣(所謂こむら返りの類)だとか、頚椎関節包の炎症だとか言われているが、原因ははっきりしないようだ。時間が経てば治ることが多いが、それまでは湿布や消炎鎮痛剤で凌ぐほかはない。
そのような事態を防ぐために、自宅以外の場所で眠る際にマイ枕を持っていくという手もあり、病院の当直のドクターがマイ枕持参でやってくるのを見たことがある。あの先生はきっと前に病院の枕で寝違えたことがあるのだろう。

いまは枕にもさまざまな素材が用いられている。
一時期低反発ウレタンが一世を風靡したことがあったが、結局合う人合わない人が出て、選択肢の一つに落ち着いた。その後今度は高反発ウレタンが登場、私も長らくこちらを使っていた。
低反発ウレタンの特徴は、そのフィット感である。適度に沈み込んで包んでくれるような感触が好きという人も多いが、なんといっても夏場は暑い。高反発ウレタンは適度に硬いので、寝返りがしやすい。寝返りは良質な睡眠には欠かせないものなので、寝返りが多めの私にはそれなりに合っていたと思う。
昔ながらの蕎麦殻も根強い人気だが、一度しっかり熱を加えていなかったと思われる蕎麦殻枕から虫が大発生したことがあるので、注意が必要だ。パイプは通気性が良いが感触がイマイチ、ビーズは高さが調節できるがこぼれたらえらいことになる。ポリエステル綿は洗えて清潔という利点があり手軽だが、へたりやすい。
羽毛はふかふかで適度な弾力性がある。定宿にしていたホテルの羽毛枕が低めで柔らかくとても寝心地が良かったので、製造元を教えてもらって同じものを注文したら、パンパンに詰まった硬めで高い枕が届いた。つまりホテルの枕は長い間使われてへたっていたため、ちょうど良い高さと柔らかさになっていたのだった。新しいパンパンの枕は寝違えそうになったので、すぐにお蔵入りとなってしまった。
羽毛や蕎麦殻といった天然素材はカビやダニの温床になりやすい。マイクロファイバーやポリエステルといった人工素材は湿気を吸わず感触が硬い。一長一短である。

ということで長年枕難民だったのだが、最近入手した枕が存外に良い。
思えば高反発ウレタン枕を長年使っていたが、ここ数年何度も目が覚めてしまうようになった。首や肩も凝りやすい気がする。低めの枕が好きなので、高反発ウレタンでもかなり低いものを選んでいたが、もしかしてこれでも高過ぎるのか?
自分に合った枕が作れる方法として、バスタオルを折っただけというのがあった。確かに高さは調節できるわけだし、そこそこ弾力性もありタオルだから洗えて清潔だ。これは良いかもと思ったが、寝返りが多いとどうしても形が崩れてくる。
どうしたものかと思っていた時に、今治タオルで作られた睡眠用タオルというのを見つけた。試しにと使ってみたら、これが思いのほか良かった。久しぶりに一度も起きずに朝まで眠ることができて、目覚めがとてもスッキリしている。私は夜型で朝はとても苦手なたちなのだが、これまでより格段に朝起きられるようになった。
そして何よりもすぐに洗えるというのが気持ち良い。通常の枕は、枕カバーは洗えても枕自体は洗えないものが殆どだ。それがタオルなので気軽に洗える。頭は寝ている間も結構汗をかくし、頭皮の脂も付くだろう。枕というのは結構汚くなるものなのである。
まだ使い始めてそれほど経ってはいないが、これで枕難民卒業となれば嬉しい。

人によって合う枕が千差万別なのは当たり前。
枕がぴったり合って眠れるのは僥倖である。
ではおやすみなさい、良い夢を。


登場した枕:箱枕
→引き出しがついているタイプもあり、大事なものはそこに入れていざという時には枕を持って逃げたという。旅をする際にも、折りたたみ枕やいろんな仕掛けがついている道中枕を持参したそうだ。マイ枕、大事。
今回のBGM:「おまけのいちにち」by 筋肉少女帯
→オーケンは物語性のある歌詞を書くのが上手い。「枕投げ営業」はまるで短編小説を読んでいるようなストーリーで、しみじみとさせられる。


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