287回 サニーサイドアップ


「卵は物価の優等生」と言われて久しいが、最近ではどうもこれは怪しくなっている。
そもそも物価の上昇や円安などの影響を受けないわけがないのであって、それを安価なまま維持するとなればどこかに歪みが生じるのは当たり前だろう。
卵の安売りは、1人1パックまでと書かれたスーパーのチラシの目玉であった。ただそういった安売りの卵は、すぐに割れてしまいそうな程に殻が薄かったり、黄身が盛り上がらずのっぺりと潰れていたりと、どこか頼りない。
最近では売られている卵の種類も様々で、餌となる飼料の良さをうたったり平飼いを全面に出したりしているものも多い。狭い檻の中で、動くこともできずにひたすら卵を産ませられ続けるニワトリのアニマルウェルフェアについて、関心を持つ人も増えた。
多少値段が高くなっても、健康なニワトリが産んだ安全な卵が食べたいと思う人がもっと増えれば、卵の殻ももっと厚くなるに違いない。

人類が鳥の卵を食べ始めたのは随分昔のことだそうだ。
お馴染みの古代エジプトよりも遥か以前、約5百万年前にアフリカのサバンナに進出した人類は、既にダチョウの卵を石で割って食べていたらしい。とりあえず手に入るものはなんでも食べていただろうが、地上に産卵する巨大なダチョウの卵は、大変なご馳走であっただろう。
現在のニワトリの直接の祖先は、東南アジア原産の赤色野鶏と言われている。ニワトリの大部分の遺伝子はこの赤色野鶏から受け継がれているが、一部に灰色野鶏の遺伝子も交雑しているとのこと。
およそ8千年前からニワトリの家禽化は行われたと言われてきたが、最近の研究では4千年足らずではないかという説も出てきており、我々にとって馴染み深い生き物であるニワトリとの関係は意外に浅く、これだけ身近であるにも関わらずまだわかっていないことも多い。
そもそもニワトリが家禽化された理由は、闘鶏という娯楽のためや、時を告げる時報の役目だったり、ゾロアスター教やキリスト教の象徴として神聖な存在であったりして、採卵や食肉のためではなかったらしい。東南アジアから中国・インドを経て、中東や地中海沿岸にニワトリが伝わったのは紀元前2千年とも、いやローマなどには紀元前8百年とも言われているが、ニワトリが北欧に到達するにはその後1千年ほどの時間はかかっている。
今ではニワトリは、南極大陸を除く全部の大陸で、バチカン市国を除く全ての国で飼育されている。

遺跡から骨が出土されていることから、ニワトリは日本には弥生時代初期に伝わったと考えられている。この国でも当時は食肉や採卵というよりも、朝を告げる「時告鳥」として飼われていたようだ。
「古事記」に書かれているかの有名な逸話では、天照大神が天の岩屋戸に隠れて世界がことごとく闇になったとき、八百万神が常世長鳴鳥(とこよのながなきどり)を鳴かせ、天鈿女命に舞わせて、天照大神を誘い出したとされている。常世長鳴鳥というのはつまりニワトリのことである。早朝に鳴くその性質から、再び太陽が昇る夜明けを告げる神聖な存在とされたのだ。
奈良時代までは卵も鶏肉も普通に食べられていたらしい。それが殺生を禁じる仏教伝来後の645年、天武天皇の「牛馬犬猿鶏の肉を喰う無かれ、犯すものあれば罰する」という布告が出される。730年には聖武天皇の「殺生禁断の令」が布告されたことにより、表向きには肉食は禁止となった。因みにこれを見ると、犬と猿も食べられていたというのに驚く。
表向きは禁止と言っても、その裏ではいろいろ言い訳をつけたり隠れたりしながら、ニワトリは食べられていたようだ。なんといってもウサギだって、飛ぶから畜生ではないとか言いながら「一羽」と数えて食べていたほどなのだから。

室町時代になると、カステラなどの南蛮菓子が伝来したことにより、「卵は生き物ではないから殺生にはならない」として、表立って卵が食べられ始めるが、まだ高嶺の花で容易に庶民の口に入るものではなかった。
江戸時代になると、天秤棒で担いだ桶に卵をのせて売り歩く「卵売り」という行商が現れた。当時の有名な料理本にも「卵百珍」といういろいろな卵料理を紹介する項目がある。ただ卵1個が20文だそうだから、かけそば1杯16文に比べると、まだかなり高価であることは間違いない。
日本最古の卵料理と言われる「たまごふわふわ」(なんという可愛らしいネーミング!)は、煮立たせただし汁に泡立てた卵を流し入れて作られる料理で、メレンゲのような食感らしい。1626年に京都二条城で開かれた将軍家の饗応料理の献立にも含まれていたそうだ。静岡県にある袋井宿の名物料理として、今に至るまで親しまれている。

さて卵料理といえば、卵かけご飯(料理と言えるのか?)。「TKG」とも言われるこの食べ方は、今はその専門店まであるほどに浸透しているが、私の子供の頃はまだちょっと怖かった。
何がというと、食中毒がだ。昭和中期の東京は新鮮な卵が手に入りにくかったし、生食に適した卵管理の対策も十分ではなかった。
そもそも日本で初めて卵かけご飯を食べたのは明治時代、画家の岸田劉生の父親である岸田吟香とされている。もちろんその前にも食べた人はいただろうが、公に記録が残っているという点でそうとされているのだろう。森鴎外も卵かけご飯を好んだという。
大正時代になると養鶏が本格的に始まり、卵が一般庶民の手に入りやすくなる。そして昭和の戦後になると、アメリカから近代的な養鶏技術が輸入されて、卵の生産量が格段に増加することで、卵は安価で栄養価が高い食べ物として家庭の食卓に欠かせないものとなったのだ。

世界的に見ると、卵の生食は非常に特殊である。ともするとゲテモノ扱いされたりもする。それはニワトリと卵に宿命的にまつわるサルモネラ菌の食中毒に対する警戒が原因と考えて良い。
卵がサルモネラ菌に汚染される経路は次の2つである。卵はニワトリの総排泄腔から産み出されるが、その際にニワトリの消化管等に存在する菌が、糞便と一緒に卵殻表面に付着する「on egg汚染」がひとつ。もうひとつは、感染しているニワトリの卵巣や卵管が菌に汚染されているため、卵の形成過程で内部に取り込まれる「in egg汚染」である。
通常養鶏場で生産された卵は、GPセンター(鶏卵格付包装施設)において傷卵・血卵などが除かれた後、卵殻表面に付着した汚れを次亜塩素酸ナトリウム150ppm溶液で消毒しブラシで洗卵するため、on egg汚染は除去される。またin egg汚染は、卵内部の汚染なので卵殻を洗浄・殺菌しても取り除くことができないが、養鶏場において親鶏がサルモネラ菌に感染しないようにする取組みがなされている。
それでも完全に感染をなくすことはできないため、1999(平成11)年の食品衛生法施行規則の改定により、自宅での「冷蔵保存」(10℃以下)が前提の殻つき卵の賞味期限は、万一卵内にサルモネラ菌が存在し「生食」しても問題が生じない期限を表示することとされた。一般的には年間を通じて、パック詰め後「14日(2週間)」程度が賞味期限とされる理由である。

卵の表面には本来クチクラ層があり、細菌の侵入を防いでいる。GPセンターで洗卵をするとこのクチクラ層が無くなってしまうので、購入した卵はすぐ冷蔵庫に入れての保存が必須である。
平飼いのニワトリが産んだ卵の中には、無洗卵として売られているものがある。無洗卵として売るからには、きちんとした安全対策を講じてあるだろうから、卵自体は安全と考える。ただ卵の表面に汚れが付着したまま除去されていない可能性はあるため、無洗卵を割る際には、卵を触った手をすぐ洗う・卵殻は流しに放置しないなど、気をつける必要がある。
卵は洗うなとよく言われるが、洗卵でも無洗卵でも洗わない方が良い。卵の表面には呼吸のための小さな穴が無数に空いているので、洗うことにより内部に水と共に汚れや細菌が入り込んでしまう可能性があるからだ。どうしても気になるなら、せめて固く絞った布巾で拭くくらいにして、放置せずすぐに割って食べるようにしよう。

驚くべきことに、日本の卵消費量は世界第2位である。年間1人当たり340個程度食べている勘定になるそうだから、1日1個は食べている計算になる。確かにそう言われてみればそうかもしれない。
ストレスのない環境で飼育され、安全な飼料を食べているニワトリの卵は、少々のことでは割れない丈夫な卵殻と硬く盛り上がって崩れない黄身を持っている。
日頃からそういう卵を選んではいるが、それでも生卵を食べるときは少し身構えてしまう。それは医学部生の時に微生物学の教授が、「サルモネラの食中毒にならない保証はないから、生卵は絶対に食べない」と宣言していたのが耳に残っているからである。
ということで、私の好きな卵料理は温泉卵である。ゆで卵でも生卵でもない、あの絶妙な感じが良い。あ、固茹での黄身はホクホクしているので苦手。


登場した料理:卵料理
→西洋に於ける卵料理の王道は、やはりオムレツだろう。ローマ時代にはオムレツに蜂蜜をかけて食べられていたそうだ。生食を厭うアメリカでは、目玉焼きも両面じっくり焼くのが普通だとか。
今回のBGM:「眠っている者のように」ジョン・タヴナー作曲 アンドルー・ラムスデン指揮/ウィンチェスター大聖堂聖歌隊
→卵といえば復活祭。シュトックハウゼンと並んで現代の神秘主義を代表する作曲家が、復活祭当日の「イースター・サンデー」のために書いた合唱曲。タヴナーはビートルズとも交流があったが、ダイアナ皇太子妃の告別式典に演奏された「アテネのための歌」で一躍有名になった。


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