182回 ホットロード


激辛の人気は根強い。
昨年の秋頃から第4次激辛ブームが始まったそうだ。インスタント食品やスナック菓子の新製品で、激辛をうたうものを見たような気がするが、敢えて食べてみるほど辛いもの好きでもないので、あまり関心がなかった。
激辛という言葉は、創業1884年の神田淡平という老舗手焼き煎餅店が1971年に作った、一味唐辛子で真っ赤にコーティングされた煎餅から始まる。これが80年代の激辛ブームの火付け役となり、1986年の流行語大賞新語部門では銀賞を受賞したそうだ。
それから現在に至るまで4回の激辛ブームが起き、今に至る。

そもそも辛みとは何か。
味覚は味覚受容体細胞が認識する、甘味・酸味・塩味・苦味・旨味の5種類の感覚を指す。辛いというのはこれには当てはまらない。なので本来「辛味」と表記するのは間違いで、「辛み」なのである。
辛みの正体は味覚ではなくて、温度覚と痛覚だ。確かに辛いものを食べると熱く感じ、激辛は痛い。
生物は生存に適した環境を得るために、多様な温度感知機構を備えている。著しい高温や低温は生命に関わるため、43℃以上と15℃以下になると、温度覚に加え痛みとして感知されるようになっており、危険を察知することができる。
この温度覚のしくみは長い間謎だったが、1997年に温度感知に関わるイオンチャネルであるTRPV1チャネルが発見されたことで、研究が進んできた。TRPチャネル自体は体のいたるところに存在し、多くの疾患にも関わる大事な受容体である。熱や酸、痛みなどの多様な刺激によって活性化され、情報伝達を担う。

辛みの代表とも言える唐辛子の主成分は、カプサイシンである。
カプサイシンは脂溶性で、上皮を通り抜けて感覚神経終末に発現するカプサイシン受容体に作用する。このカプサイシン受容体は、43℃を超える熱刺激で活性化されるTRPV1としても機能するため、辛みは熱いと痛いを同時に引き起こすのだ。英語で辛いと熱いは同じ「hot」なのも理にかなっている。
唐辛子の辛みは食べてすぐには出現しない。なんだこれくらい平気とたかをくくった後に強烈な辛さに襲われて悶絶するのは、上皮を通り抜けてから受容体を刺激するのでタイムラグが生じるためだ。
TRPV1は、黒胡椒の辛み成分ピペリンや、生姜の辛み成分ジンゲロン・ジンゲロールにも反応する。TRPV1の活性化は交感神経系を介して熱の産生も促すことから、唐辛子を靴下に入れたり生姜風呂に入ったりすることで体を温めることができる。

辛さの単位はスコヴィル値で表される。
1912年に味覚テストを考案したウィルター・スコヴィルから取られており、正式名はScoville heat units(SHU)という。スコヴィル値1000の場合、砂糖水で1000倍に薄めてようやく辛さが0になることを意味するが、主観に左右されるため、現在は高速液体クロマトグラフィーなどで測定されてることが多い。
鷹の爪のスコヴィル値は4〜5万SHU、ハバネロはおよそ30万SHUと言われている。世界最強(最凶?)の唐辛子であるキャロライナ・リーパーは、なんと164万SHUだそうで、調理には防護服の着用が求められるとのこと。
こうなると辛いものを食べるのは命がけである。

TRPチャネルの中で、ミントの成分であるメントールの受容体であるTRPM8は、28℃以下の温度を感じる受容体である。ミントが清涼感を感じさせるのは、こういうわけなのだ。
そしてワサビ成分のアリルイソチアシアネート受容体であるTRPA1は、17℃以下で活性化される。ワサビは冷たくは感じないが、鼻の奥がツーンと痛む。これは揮発性のアリルイソチアシアネートが鼻腔の感覚神経に作用して、痛みを感じさせているのだ。
アリルイソチアシアネートは水溶性なので、ツーンときたらお茶を飲むと辛みは薄れる。このとき冷たい水を飲んでしまうと、受容体を更に活性化してしまうので要注意だ。
ちなみにカプサイシンは脂溶性なので、いくら水を飲んでも辛みはおさまらない。ヨーグルトや牛乳といった乳製品を飲むと良いのは、まだ細胞内に入っていないカプサイシンを乳製品の脂肪分が包んで洗い流してくれるからだという。確かにカレーにラッシー(ヨーグルト飲料のようなもの)が合うわけだ。

激辛好きというのは、一種耐久レースや我慢比べのような様相を呈する。
TRPV1の数は遺伝子によって決まっているので、辛みに対する感受性は人によって異なり、辛みに強い人がいるのは確かだ。またこのTRPV1は頻繁に刺激を受けると感度が鈍くなるらしい。
そしてTRPV1が活性化するということは、体にとってはエマージェンシーであるので、攻撃モードのアドレナリンが分泌される。同時に痛みを和らげるためのβ–エンドルフィンも出るので、辛いものを食べると気分が上がるというわけだ。β–エンドルフィンは快感物質でもあるので、その感覚をまた得ようとしてエスカレートしていく。これは辛みに慣れるというよりも、依存に近いだろう。
以前タイ料理の店でかなり辛い料理を食べた時、アドレナリン出まくりで過呼吸と頻脈を起こしかけて命の危険を感じた。その横で若い女性が、「一番辛くしてください」と頼んだ料理にテーブルにあった激辛調味料を思い切り加え、汗ひとつかかずに涼しい顔で食べているのを見て、これはやばいと感じたものだ。

食べるという行為はゲームではないのだから、やはり単純に辛みだけを希求するのではなく、バランス良く味覚も含めて味わいたい。
くれぐれもあとで胃痛や下痢で苦しまない程度にしておくのが得策だ。


登場した用語:TRPV1(トリップ・ブイワンと読む)
→温度感受性Transient Receptor Potentialチャネルの「TRP」に、バニリル基を持つ化合物であるカプサイシンにちなんだ「V」。これまでに1から6まで見つかっている。
今回のBGM:「渋全」by 渋さ知らズ
→渋みも味覚ではない。一筋縄ではいかず、奥が深い。

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