第30回 鏡よ鏡


あなたは1日に何回鏡を見るだろうか。
洗顔後、お化粧している時、トイレで手を洗った時、目にゴミが入った時、etc. いずれもささっと顔の一部を確認するくらいで、隅から隅まで自分の顔をじっくり見るという感じではないと思う。
一時期女優鏡というものが流行ったことがある。鏡の周囲にライトが付いているため、肌のくすみなどを飛ばして綺麗に見えるとのことで結構人気だったが、最近はあまり見ない。見たくないものを見えなくしてくれるのは自己満足にはなるが、諸々確認するためにはかえって不便なので廃れてしまったのかもしれない。
我々は見たいものしか見ていない。もちろん鏡には全て映ってはいるのだが、見えてはいても見ていないのだ。「鏡よ鏡」と呼びかける白雪姫の継母である王妃は、思い通りの回答が得られないと激怒する。鏡の中に見たいのは本当の姿などではなくて、自分に都合の良い思い込みでしかないからだ。

『Dr.パルナサスの鏡』という映画がある。
出演していたヒース・レジャーが撮影の途中で急死してしまい、急遽友人だったジョニー・デップやジュード・ロウ、コリン・ファレルが代役を務めたことでも話題になったが、『モンティ・パイソン』でお馴染みのテリー・ギリアムが監督というだけあって、アクの強いダーク・ファンタジィとなっている。物語自体はある意味王道と言えるのだが、個性的な役者たちと映像美がとても素晴らしく、一般的な評価はあまり良くないようだが私は好きな作品だ。
「イマジナリウム」という人々の心の奥底の欲望を映し出す鏡を出し物に興行を行うパルナサス博士。彼はかつて悪魔との賭けに勝って不死の命を手に入れたのだが、その代わりに娘のヴァレンティーナ(演じたリリー・コールが美しい)を16歳になったら悪魔に渡さなければならない。イマジナリウムの中で博士と悪魔はどちらが客を誘惑できるか賭けを繰り返すのだが…というお話。
これは実に象徴的に鏡を描いていると言える。鏡は決して客観的に事実を伝えるものではないのだ。そこに映るのは自分が見たいと思っている幻想であり、まあ言ってみれば鏡を見ている我々の目は常に腐っているというわけだ。

自撮りというのも鏡と同様「あるべき自分の姿」を具現化させるための道具として機能している。角度を変えポーズを取りさらには加工も加えた自撮り写真は、他人から見たら誰だこれ状態であろうとも、本人にとってはこれぞ私という満足できるものであるのだろう。そういえば成人式の記念写真を写真館で撮影したら、これは私じゃないとクレームがきたという話があった。そうなるともう、自撮りの主観的な「私」に慣れすぎて他人に撮られた客観的な「私」に多大な違和感を覚えるという、もはや本末転倒だろう。
写真というものは本来、自分が見ている世界をいったん外部から見直すようなものだ。全てをくまなくコントロールしたプロの写真は別だが、通常のスナップショットには意識しなかったものが沢山写っているし、他人に撮ってもらった自分の写真には、思っていたのと全く違う自分が写っていたりする。だからこそ私は、自分のコーディネートをチェックするために必ず他人に写真を撮ってもらうことにしている。鏡で見ただけでは全くわからなかった客観的な評価ができて次に活かせるからだ。
見たいものだけを肯定するのではなく、その奥にある事実を受け入れる気概も持つこと。そうすればもっと素敵になれる。

表面的な皺やたるみなどではなく、そこに毅然と背筋を伸ばした自分が映っていることを確認しよう。
鏡は本当はそのために在るのではないか。


登場した女優:リリー・コール
→少女の化身のような姿の彼女は、実はかなりの才媛で一世を風靡したモデルでもある。彼女主演でマリリン・マンソンが撮っていたルイス・キャロルの映画がポシャってしまったのは誠に残念。
今回のBGM:「Blue Valentine」by トム・ウェイツ
→皮肉屋で洒脱な悪魔役を演じたトム・ウェイツが実に素晴らしい。彼のしゃがれ声のブルースの中でも1番のお気に入りは「Christmas Card from a Hooker in Minneapolis」。最後の数行のひねりが実にトム・ウェイツらしくていいのだ。


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