自分の世界からピースが欠けるのがつらい

突然ですが、映画版プリキュアを観ました。

かつては別にな~と思ってたんですけど、交際相手とかいろいろ事情があって4年前くらいから観に行くことに。まあテレビシリーズは付かず離れずありつつなんだかんだ15年見てしまってますけども。BBAだけどな。

何がキュア泣きじゃ!!と思ってたんですけど、なんと自分でもこれまでの間で初めてまさかと思うレベルで泣いていた。とにかく隣に気付かれないよう、暗くなった瞬間できる限り必死にさりげなく涙を拭いた。でもなぜそんなに。直後にはいからさん後編を観たこともあって(スケジュールの都合なので詰め込みは仕方ない)暫く思い出せないでいた。ちなみにはいからさん後編で高まるつもりでいたのにプリキュアで使い果たしたので、こっちはそんなに泣かずに終わった、てか前編のほうが作画とか機微とか繊細だったような。うるせえよ。まあ完結したのはよかったです。

心の整理が着いたら号泣の理由を思い出した。んー、これ以降直接のネタバレはないですけど、なんとなくセンシティヴな人はここまで。気にしない方は引き続きどうぞ。

------------------

その昔、このままほっとくと何らかの原因で消えてしまいそうな人に手を差し伸ばした事が二度ばかりある。一人目は「ワシが育てた」になったけど、二人目とは結婚した。別に霊感があるとかではないけど、気が弱ってる人はなんとなくわかる。歳取ってる割に子供が居ないせいなのか、どうも社会的な意味で何かに必要とされてないと生きた心地がしなかった。かと言って特に好意があったとかではなく、後々どうなるかまでは考えない。自分の人生に深い関わりがなくても、消えるタイミングは今ではないと直感が動くことがあった。
ということもあってか、太刀打ちできないレベルの強敵ミデンの殲滅まであと一歩のところなのに仲間の手を止めさせ、我が身を呈してまで健気に向き合おうとする野々はなの姿に、うっかりかつての自分を重ねてしまった。彼女もまた敵味方に関わらず自分の世界からピースが欠けるのが許せなかったのだろう。こっち側に向かってマジカルライト点灯を呼びかけるハリーのセリフもグッときた。プリキュア55人は強大な敵と戦ってはいても、等身大の悩みや矜持があって何よりもみんなの友達として心に寄り添っているのだ。人は社会と関わりを持つ以上ひとりの力だけで生きてるわけではない、また過去が未来への道を作っている事を、ある世代に向けてまっすぐに伝えているあたりもBBAの胸を打った。

ミデンを見ていて「ユニコ 魔法の島へ」のククルックを思い出した。人間のせいで狂気の権化となっているあたり、これまた境遇が似ている。

気になる方はアマプラのレンタルでどうぞ。ククルックの怖さはトラウマ級で正直ミデンの比ではない。

しかしすごいな宮野氏。全然興味なかったんですけど、この日見た2本の映画が、かたや狂気のラスボスかたや不死身のいい男の役で、それぞれのおいしいところを持って行った。遅ればせながら人気の理由がわかった気がした。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?