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南の島へ移住して十日ほど経った話

大学進学から二十年近くも住み続けていた東京を後にし、夫の故郷である伊良部島へと移住した。慌ただしく日々は過ぎて、気付くと十日が過ぎていた。というか十日も経ったのか。ふるえる。
振り返ると移住してからずっと、夫の後ろを付いて回って、さながら金魚のフンのようだった。というのも、地方暮らしに必須なはずの運転免許を私が取得しておらず、どこへ行くにも夫がいないと何もできないという体たらくな現状ゆえだ。せめて事前に原付免許くらいは取得しておくべきだった。

夫はテレビボードを作るのだと今朝から意気込み、材料を車に詰め込んで近所の集落のおばあ宅へ出かけていった。我が家は賃貸の一軒家だが、作業スペースとしては庭と駐車場付きのおばあ宅が圧倒的に広い。
よって朝から取り残された私は、何となく荷ほどきをして台所を片付け、そのうち飽きて雑誌をめくり、パソコンを引っ張り出して二階のベランダでこの文章を打っている。
ベランダから景色に目をやると、家々の隙間から海を望むことができる。曇り空でも、遠く見える青のグラデーションは目の覚めるような色だ。どんな風に絵の具を重ね塗れば、この透明な緑と水色と深い青を表現できるのだろう。何度シャッターを切ってもカメラの設定を変えても、この美しさを正確に収められなくて、いつも歯がゆい思いをする色だ。
しかし、海を眺めながら自宅ベランダでMacBookを開くとか、リゾートワークっぽいな〜!意識高いな〜!ノマドっぽいな〜!!と、自分に突っ込まずにはいられない。気恥ずかしい。(単に一階が暗いので、気分を変えて二階へ移動しているだけ)

ところで島に引っ越してきて十日、まだ南国で暮らしているという実感を持てないままでいる。
伊良部大橋から望む目の眩むような景色。首都圏では植物園くらいでしか出会えないような鮮やかな色の花々、広い国道には整然と立ち並ぶ南国の木々。市街部から離れたら、サトウキビ畑とそれを刈り取るハーベスター。すれ違う人たちの言葉は外国語のようなイントネーション。
どれも東京ではあり得ない景色のはずなのに、なんだかまだ夢の中のようだ。

そもそも、わたし自身は強い動機や憧れを抱いて移住してきたという訳でもなく、たまたま東京でお付き合いをしていた人がこの島の出身で、どうしても帰りたいという意思を受け(そして三年ほどの話し合いという大喧嘩を経て)最終的にわたしが折れた形になった。

当たり前のように東京で暮らして、四十あたりでどっかでマンションでも買うか何かして、会社にお世話になって死なない程度のお金を稼いで生きていく人生のつもりだった。
もし東京を離れるとしても、ギリギリ都心へ通える通勤圏内か、もしくは実家のある東北あたりで落ち着くだろうと漠然と考えていた。まさか沖縄本島の、更に離島へまで引っ越す未来がわたしの人生に待っているなんて、十年前には想像もできなかっただろう。

このまま南国で暮らしている実感もないまま、気づいたらなんとなく一ヶ月が過ぎて、半年が過ぎていくのかもしれなかった。そうして当たり前みたいに生活が馴染んでいく、そうやって日常に溶け込んでくれたらいいなと思っている。
普段は味噌汁飲んで、お祝い事でヤギ汁飲むくらいがちょうど良いじゃない?みたいな。思いもよらなかった場所で日々を暮らしていくには、そのくらいが丁度いい気がするのだ。

夫の親戚から貰った赤子ほどのサイズのゴーヤを眺めながら、屋根裏からはヤモリの声が聞こえる。けれど手にはいつものiPhoneが収まっていて、Facebookを開けば東京の友人たちとの生活とすぐに繋がる。
これが日常になるのだよなあとしみじみ思っている。

※便宜上で夫と書いていますが、まだ入籍してないので正確にはまだ同居人です。説明が面倒なので、周囲には夫で通している。

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