misao

秋田→東京(三多摩)→沖縄(伊良部島) 移住の日記を時々書きます。本業はWEB職です。

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秋田→東京(三多摩)→沖縄(伊良部島) 移住の日記を時々書きます。本業はWEB職です。

最近の記事

君はいつだって幸せな顔をしている

暑さが少しばかり緩みかけた、風の強い夕方のことだった。 「さっきから、ずっと猫の鳴き声が聞こえる」と、帰宅した私に夫が言った。たしかに、耳を澄ますと、にゃあにゃあという声が聞こえてくる。 宮古島市は野良猫が多く、私たちの住む伊良部島も例外ではない。まあ、どこかの野良がお腹でも空かせてるんじゃないかねと適当に答えた。 夜になり、所用で出かけようと家の外に出ると、まだ猫の声がする。 用事から戻ってきても、まだ猫の声。 夕方から何時間鳴いているの?もしかして、ずっと? さすがに

    • 旧十六日祭

      内地とはちょっと違う文化に触れる機会が多かった年末年始。 たとえば、年越しそばは宮古そばでシメるとか(香川の年越しうどん的な?)。 お節料理の文化がないとか(栗きんとんだけ食べたくて自作した)(嫁的にはオードブルで済むのが超ありがたい)。 成人式は各家で大々的に祝い、呼ぶ人が多い家は外にテントとテーブルをセッティングして宴を催すとか(テント、近隣の学校とか会社から借りられるらしい)(ちなみに成人した本人は終日不在である)(本人不在の宴とは…?)。 そして旧正月もしっかりお祝

      • もうクリスマスだが今日も半袖

        夫は東京に住んでいた頃から、なぜかラジオ局のNACK5(埼玉ローカル)をこよなく愛しており、カーステレオのチャンネルは常にFM79.5にキープされていた。ちなみに埼玉に住んだことは一度もない。 故郷である伊良部島に帰郷した後もその癖は抜けていないらしく、なぜかradikoをエリアフリー契約(有料)してまで、今もNACK5を聞いている。そして私も共に車に乗る度にNACK5に付き合わされている。なぜ遠い南国に来てまで埼玉発(繰り返すが夫婦ともに住んだことがない)のラジオを聞いてい

        • 方言ほんとにわからんい

          男性の一人称は「ばん」である。 「俺の彼女」は「みどぅん」である。 よって「俺は彼女と一緒にいる」をこちらの方言にすると「ばんはみどぅんといるだらい」となる。 初めて夫が電話で地元の友人と喋っているのを聞いた時に、とても失礼ではあるが、素直に絶句した。言葉があまりに違いすぎた。津軽弁か。むしろ津軽弁だってもうちょっと分かりやすいのではないか。 ちなみにサラッと「いるだらい」と書いたが、語尾に「い」が付くのは伊良部島特有の方言であり、宮古島では使わないらしい。更に付け加えると

        君はいつだって幸せな顔をしている

          北の民、本場の台風を知る

          ※写真は台風後に脱走していたヤギの写真 人生で初めての台風の日のことは、よく覚えている。 あれは小学校の四年か五年あたりだろうか。東北生まれの私にとって、台風とはテレビの中の出来事か、もしくは小学生向けの科学読本で説明されているような未知の自然災害だった。 それが、初めて、我が県を通過するというニュース。初めての台風にテンションが上がらない訳がない。 通過は夜中。ガタガタと揺れる窓の音に興奮して眠りは浅く、朝方の五時前には目が覚めた。子供部屋の窓をひっそりと開けてみると、普

          北の民、本場の台風を知る

          盆が来て夏が終わる(いや、終わらない)

          八月中旬の某日、昼下がり。いつものように昼食を買おうと地元スーパーへ足を運んだら、そこは地元民でごった返していた。店頭にはオードブルを引き渡すための特設ブース、おなじみの惣菜コーナーには十人用の寿司折、どでかい巻き寿司の二本セット、オードブルの山。一人用の弁当など影も形も見えない。 これが沖縄の盆というものかと、袋に入った折詰の山を抱えて帰る人々を眺めながらちょっと慄いた。 盆と正月が同時にやってくる、という比喩をしみじみ噛み締めた。この様子はまさに正月。 沖縄の盆といえば

          盆が来て夏が終わる(いや、終わらない)

          タイムマシーンがあれば

          わたしにとっての伊良部島の入り口はいつも橋の先の丁字路で、 橋の終点から左の伊良部集落へ向かうか、 右の佐良浜集落へ向かうかを選択するところから始まる。 ところで伊良部島には、島の周囲を囲む通称「一周道路」の他に、三本の大きい道路が島を横切っている。 伊良部線、国仲線、佐和田線。 移住したての頃にはこの道路がどこをつなぐのか分からず、若干混乱したのだけれど、分かると何の事は無い。この道路は佐良浜港が起点となって、他の集落へと伸びているのだった。 わたしは橋ができる前の伊良

          タイムマシーンがあれば

          私の中の東京について

          未見だった「君の名は」がテレビ放送されていることを知って、チャンネルを合わせてみた。 ちょうど男の子が起床して、あたふたするシーンが流れていた。彼の中身は、過疎化する村で暮らす女子高生。CMで何度も観たやつだ。 彼(彼女)が戸惑いながらも身支度を整え、マンションの扉を開けて外廊下へ出ると、そこには都会の風景が広がっている。遠くに見えるのは新宿の高層ビル群。眼前には首都高。 彼(彼女)は電車に乗る。降りた先は新宿。 南口のLUMINE、正面を流れる甲州街道。この物語の時間軸当

          私の中の東京について

          チャレンジ島ごはん

          夫と付き合って間もなくの頃、忘れられない会話がある。 今でもよく覚えている。あれは数年前、年の暮れの頃。 東京は調布のスシローで、遅めのランチを向かい合っていた時だった。 雑談の合間に尋ねたのだった。そういえば苦手な食べ物とかあるかな。ご飯作るときに気を付けるから教えてね。 今振り返ると大変初々しい私の発言を受け、彼は少し悩んだ後に答えた。 いやー、特に食べれないものってないんだけど。あえて言えば。 そう前置きをして、彼は続けた。 「あえて言えば、ヤギの味噌汁」 この話は、

          チャレンジ島ごはん

          南の島へ移住して十日ほど経った話

          大学進学から二十年近くも住み続けていた東京を後にし、夫の故郷である伊良部島へと移住した。慌ただしく日々は過ぎて、気付くと十日が過ぎていた。というか十日も経ったのか。ふるえる。 振り返ると移住してからずっと、夫の後ろを付いて回って、さながら金魚のフンのようだった。というのも、地方暮らしに必須なはずの運転免許を私が取得しておらず、どこへ行くにも夫がいないと何もできないという体たらくな現状ゆえだ。せめて事前に原付免許くらいは取得しておくべきだった。 夫はテレビボードを作るのだと今

          南の島へ移住して十日ほど経った話