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5カ国に住んだバイリンガル。「英語は必要ない」

なんだか芸能人の子供がこぞってインターナショナルスクールに通っている昨今、バイリンガルのわたしは声を大にして言いたい。英語が過大評価されていないだろうか。

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わたしは、話題づくりに役立つ最強の手札を持っている。「生い立ちユニークカード」だ。30年弱の人生で、5カ国7都市に住んだ。身バレを避けるために都市名は伏せるが、出身は日本で、あとはヨーロッパ・東南アジア・北アメリカの国々を転々としてきた。

しかし、自己紹介の時には、できればこのカードは使いたくない。言うと相手の期待が高くなってしまうからだ。それから、「海外に友達いるの? すご〜い」とか「英語喋れるの? かっこい〜」とかの返答に困る。多くの人が思い描く「海外帰り」のステレオタイプから、わたしはかけ離れている。

海外に住んでいる友達とはインスタの「いいね」をたまに送り合うくらいだし、日本に住んでいたら英語を使う機会も殆どない。インドア派なわたしは一年を通してほぼ家にいて、休みの日はYouTubeショートを見るだけで終わる。一部の華やかな帰国子女たちが植え付けているキラキラなステレオタイプは、わたしには当てはまらないのだ。

中でも一番困るのは、「英語喋って」である。別に英語を喋ること自体はいい。だがせめてお題をくれ。海外の友達にいきなり「日本語喋って」と言われたら、きっとみんな困るだろう。こんにちは、くらいしか出てこないのではないか?

さて、そんな芋バイリンガルなわたしから言わせてもらうと、英語が話せる必要はないと思う。ただし「海外に住むつもりのない人は」という条件付きで。話せなくたって、別にいいじゃないか。

日本の友達から、よく「英語がしゃべれていいな」と言われる。ありがとうと返事をするが、心の中では「いや、あなた別に必要なくない?」と思ってしまう。日本に住んでいる以上、英語は本当に必要ないと思う。できたところで使う機会がないもの。

でも海外旅行に行く時に便利じゃん、という反論には、「数日間の海外旅行に行くために言語を習得するなんて割に合わない」と返したい。インターネットが通じるところに行くならば、Google翻訳があれば何とかなるだろう。

個人的には、英語が喋れて良かったと思う。世界中に友達ができたし、グローバルな価値観を培うことができた。だけど日本国内はあまり旅行したことがないし、日本の歴史や文化の知識は疎い。どちらが良いかなんて、到底決められないだろう。

根本的に、日本では英語がしゃべれることや海外へ行くことが過大評価されていると感じる。別に日本で生まれ育って一度も海を渡らなくたって、十分冒険的な人生を歩むことはできるだろうし、インターネットがあるいま、知識や教養だって国内で十分身につけられる。海外に行くことがそんなに偉いかよ、と思う。

それから、「日本を訪れている外国人に道を聞かれた時に英語が分からないので教えられなかった。くやしい」といった声もよく耳にする。しかし、わたしはそれは違うと思う。日本にいるならば、あなたが英語を喋れなかったのが原因なのではなくて、彼らが日本語を喋れないことが原因なのだ。日本語を喋る国で英語を喋っていたのは彼らなのだから、あなたがくよくよする必要はない。

誤解をして欲しくないのだが、わたしは街で困っている外国人を見かけたらできるだけ声をかけるようにしている。わたしが過去に色々な国で現地の人に助けてもらったからだ。それに訪日外国人には、大好きなわたしの母国・日本でたくさんいい思い出をつくってほしい。日本語を喋れないからって軽蔑したりはしない。

ここでわたしが言いたいのは、「英語が喋れて当たり前」という、一部の人がつくりあげたスタンダードが気に入らないと言うことだ。ああ、これに関しては言いたいことが山ほどある。

わたしは英語が公用語じゃない国にもたくさん訪れたことがある(住んだこともある)が、行く前に必ず最低でも「こんにちは」と「ありがとうございます」は現地の言葉で言えるようにしておく。「hello」「thank you」くらいの英語はどこの国でも通じるが、これはリスペクトの問題である。

そして、英語で話さなければいけない時には、あくまでも「ここの国の言語を喋れなくて恐縮です。わたしのために英語を話してくれて助かります、本当にありがとう」という態度で接する(この態度がゼロな英語話者は沢山いるが、わたしはそれがちょっぴり気に入らない)。英語話者は、英語に甘えてはいけない。それは現地の人々にとても失礼だと思う。

それから、日本語を母国語とする人々に今一度伝えたい。日本語が母国語の人にとって、英語を学ぶのはとても難しいことなのだと。わたしはヨーロッパ系の言語をいくつか学習していたことがある。その時に、「そりゃあこの国の人たちは英語がうまいわけだよ」と思った。文法や単語が、英語とめちゃくちゃ似ていたのだ。

だから、英語が喋れないからってくよくよする必要はないし、別に使う機会がないのなら、わざわざ勉強しなくたって良いと思う。

要するに、人それぞれなのだ。海外に住んでみたいなら、海外に友達が欲しいなら、海外から来る人と喋りたいのなら、英語を学んでみると良い。個人的にはおすすめするが、海外に行ったから偉いとか、優れているとか、そんなことは一切ない。行かなくてもいい。極論、日本国内だって旅しなくていい。

ビジネスのグローバル化で、英語は就活に有利、なんて声もあるかも知れない。しかしグローバル化と共にテクノロジーも進化している。わたしは翻訳の仕事もしているが、今はAIが大活躍中で、専門的な分野以外は人の出る幕なしだ。正直、中途半端な英語力ではAIに勝てない。単なる単語力だけではなくて、その国の文化などを知っていたり、行間を読めない限りはAIの方が優秀だ。そこまで突き詰めて、ようやく仕事で使えるようになる(例外は少なからずあると思うけれど)。

一点だけ補足しておこう。わたしには世界中に友達がいる。その中には、シリアやソマリア、ウクライナ出身の子たちもいる。彼らはいま、命のために母国には住んでいない。日本は比較的「安全」な国だけれど、万が一、なにか半ば強制的な理由で国を出なければいけないことがあれば、その時は英語を喋れた方が便利だとは思う。でもまあ、正直自分の意思以外で英語が本当に必要になるのは、それくらいだと思う。

結局のところ、大事なのは言語ではないのだ。例えば大谷翔平選手だって、ドメニコ・ドルチェだってステファノ・ガッバーナだって、歴史に名を残す超偉大な人物だけれども、彼らよりうまい英語を話す人は腐るほどいる。でもそんなの、彼らの偉業を前にして何の弊害にもならない。言語力で人の価値は決まらない。

わたしが英語が話せて楽しい、と思う気持ちと、誰かが日本文学を読んで楽しいと思う気持ちは比べられない。両方楽しみたい人もいるだろうし、片方は楽しめない人もいるだろう。とにかく好きにしたらいい。英語はただのコミュニケーションツールでしかない。大事なのはもっと核にあることだ。

例えば先に述べたドルチェとガッバーナには、英語を勉強する時間があったら素敵なお洋服をデザインして欲しい。きっとそっちの方が多くの人を幸せにできるだろうし。

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