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私は誰かの他人ってだけで価値がある。

先日、長年悩んでいたことの解決策になり得る情報を手に入れました!
これはすごいです!
野菜の食べすぎは消化不良を引き起こす、ということです。
なんのこっちゃって感じだと思うのですが、そしてその野菜によると思うのですが、
私はここ4〜5年、自炊した料理を食べると腹を下す、という現象に悩まされていました。
過敏性胃腸なんとかみたいな症状に当てはまるっぽいのですが、自炊以外ではそうならなくて謎…といった具合でした。
初めは、当時住んでいた福岡の水道水が自分に合わないのか?とか思っていたのですが、関東に帰ってきてからもそれは治らず…。
さらに自炊した料理を食べて腹を下すのは行き過ぎた自己嫌悪、みたいなネットのお医者さん回答みたいなのもあって、なんか別の情報ないのかな…と悩んでいたのでした。
そしたら、この間サラダもりもり食べている時、パートナーに「そんなにブロッコリー食ったら腹下すよ」って言われて知りました。
ブロッコリーって食べすぎると体に毒らしいですね笑(なんでもそうだわ)
ブロッコリーを一株毎日食べて腹下していた私には目から鱗ですが、野菜には1日分の適量があるのですよね、
私はIQ2なのでそこまで頭が回らなかったーー!
なんでも食べ過ぎたらいかんのかーーーーー(IQ2)
今日からの自炊で、腹をくださずにいられるか楽しみにしながら野菜は少なめで料理していこうと思います。

さて、先日3年ぶりに友人に会いに行ってきました!
そこで非常に私の脳みそに刺激的な会話があったので、そのことについて書きたいなと思います。
彼女は拒食症の療養のため、ここ15年くらい自宅で日々を過ごしています。
そもそも彼女と私の出会いは高校1年生の時で、入学直後からすぐに非常にマブい仲になりました。
2年生の時にクラス替えで別れてしまったのですが、
彼女はエリート養成クラスみたいなクラスで高い成績をとっていて、本当に努力家な女性でした。
そしてある時から摂食障害を患い、卒業後に大学病院に入院になりました。
(お見舞いに行ったことは非常に(不謹慎かもしれませんが)楽しい思い出でしたが今思い返すと鼻からチューブ出してでかい個室に隔離されていたことを思うとかなり状態は悪かったのかもしれません)
退院後は自宅で療養するようになった、という経緯です。

彼女はもちろん元々頭は良いのですが、なにより努力家です。
努力家であるがゆえに頑張りすぎてしまう、人の期待に応えまくってしまうような人で、
結果を出せるまで自分を痛めつけてしまう、自分が傷んでいることに気づかない、というところがありました。
(私にはそう見えていただけですが)
彼女は現在も私の経験したことのない治療の困難な病気に悩まされているわけで、病気について私が書けることも出来ることもありませんが、
病気になった今でさえもずっと頑張ってるなあ、という印象を受けました。
私はそれに大変感心しましたし、リスペクトでした。
頑張らなくていいんだよなんて、多分闘病の中で100万人に言われたでしょうが、それでも頑張らずにいられない、諦めないしぶとさのようなものに、私は素敵を感じたのです。
相変わらずだなあ、と笑ってしまいました。

久々の再会ということもあり、また、普段はなかなか家族以外の人と関わることも少ない(彼女いわく)という状況もあってか、
普段家族には話しにくいような悩みが溢れ出たように彼女は心の内を沢山打ち明けてくれました。
いつも一期一会の出会いばかり楽しんでいる私にとっては、そんな誰かの本心を聞けることはかなり貴重な機会でしたし、
彼女はこうして自分のことを話したり、私の話を聞くのが楽しいと、言ってくれました。
もしその言葉が本心なのであれば、他人ってやっぱりヘルシーなメンタルを保つために必要だなとものすごく思った次第でした。
私は別になにか役に立つ助言をしたわけでも(そもそもIQが2である)、薬を処方しただけでもなく、
ただ彼女に会いに行って、彼女のお手製のタルトをうまいうまいと食べて(天才的なパティシエです。誕生日には毎年当日指定で必ず大量の手作りお菓子を送ってくれます)、彼女の話を聞いていただけです。
それでも、他人に自分を打ち明ける、自分を説明するとか、そういうことだけでも頭の整理になるし、癒やされるものなんだなあ。
(もちろん、信頼出来る人を選ぶという労力は必要です。私も信出来る人でありましょう)
そして、私は友人が一生懸命自分の人生をよりよく生きようと本気でもがいて苦しんでいるその心に触れて、私の心には爆撃が落ちたような刺激と生きるエネルギーが満ちました。
会えば毎回高校生の時のような穏やかでリラックスした空気感に満ちて、居心地が良くて、ニヤニヤ笑っていられる。
でもそれだけじゃなく、お互い別の人生を歩んできて、今は色んな話が出来る。
あの時に知り得なかった地獄や喜びを持っていて、お互いにそれらに刺激されあっている、と感じました。
私は、今回彼女の「他人」でいられて本当に良かった、と帰りの電車の中で心から思ったのでした。
他人同志分かり合えない、共感もし合えない、でも大切に思い合っているからこそ、それは学びになり、癒やされたのではないだろうかと。
彼女にとっての良い他人であれてよかった。
そして私も彼女にとっての良い他人でありたい、と心から思いました。

他人に影響されない人はこの世にはいないと思います。
他人が存在しなければ傷つくことすら無いのではないでしょうか。
分かり合える人なんてこの世にはいないし、誰ともひとつにはなれないし、どんなに好きだって、どんなに依存したって、他人は他人でしかありません。
だからこそこんなに学びにあふれて刺激的で楽しいのが人生なのかな
みたいなすごい激ウザタレントみたいなことを書いてしまい、気まずいですがそう思う次第です。(しんどい…)
人間関係は、お互い「違う」からこそ価値があると思うので、これからも他人を恐れずに、他人を楽しんで、リスペクトして人生を楽しんでいこうという気合充分に生きていこうぞ!
取り急ぎ、気合は十分だが口座残高がやばい!
可愛いものを買いすぎた!
節制せねば!

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