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3月、cotreeの『書く』カウンセリングをはじめてみた #1

さみしいというお気持ちは、●●様にあきらめやしんどさをもたらすことがあるのですね。

オンラインカウンセリングcotreeの『書く』カウンセリングをはじめてみた。一往復目、カウンセラーさんはこんな言葉でわたしの「さみしい気持ち」を言い換えてくれた。

以前からずっと、カウンセリングを通して自分を見つめなおせる時間が持てたらいいなと思っていた。昨年の4月、コロナ禍でとてもしんどさが高まっていたころ、一度『話す』カウンセリングを予約してみたことがあったけど、起き上がれる気がしなくてキャンセルしてしまった。

今まで何度かカウンセリングを受けたこともあったし、複数の心療内科に行ってきた。カウンセラーさんであっても、先生であっても、極端に、合わない感覚になることがある。
普段人の話を聴かせてもらう仕事をしているからか、日ごろ自分が時折やってしまう、安易な共感や傾聴が、相手に鏡写しになってしまって、「今こう思われているのだろうか」と勝手に想像して、不安な気持ちを抱くことも、あったりする。
さらに、エネルギーがあまりない時というのは外出するだけでしんどかったり、予定があることがとてもプレッシャーになる。
そしてシンプルに、自分の奥底と向き合おうとすることは、怖い。

その点、『書く』カウンセリングは、相手の表情を見なくていいので、必要以上に情報を得て余計なことを考えなくていい。自分のタイミングで返事ができる。熟考したり、時間をかけてから自分にフィットする言葉を探したいわたしには合っているかもしれない。対面の、その時にふとぽろぽろと出てくる言葉もいいんだけど、頭がぱんぱんになったり、エネルギーがとてもいる作業なので、長く続けるとなると、なおさら。

今回はなしをしたかったのは、「これを直したいんです」という明確な困りごとではなくって、ずっとずっと持っている、根本的な『漠然とした生きづらさ』みたいなところだ。
『漠然とした生きづらさ』は言い換えるとわたしにとって『さみしい』という感情でもある。これは何なんだろうと、何度も自分で考えたり、知り合いに話したりしていた。

「自分で自分を満たせるようになりなさい」と言われてがんばってみたこともある。数年間で、自分にやさしく過ごすための手段は増えた。でもさみしさはなくならない。
さみしさはわたしはずっと抱えていくもので、あきらめて、うまく折り合いをつけて生きていくしかないのだろうと、思うようにしていた。「折り合いをつける」ことは、マイナスの要素だけでなく、楽しいことに目を向けさせてくれる良い方向にもはたらくことだった。

そんな風に折り合いをつけてきたことだから、だからほんとうに、なにから話したらいいのかわからなかった。「そもそもなにに困っているのかわかりません」「打とうとすると胸がきゅっとなります」と伝えたわたしに対して、カウンセラーさんはこんな言葉をくれた。

胸がきゅっとなる感覚が今はあるとのこと、その思いが今の●●様の思いなのでしょう。
今の●●様の中には、まだ言葉として整理しきれないようなたくさんの思いが詰まっていて、何かしら表そうとすると一度に湧き出てきてしまうような状態なのかなと想像いたしました。

このことばに、とてもわかってもらえているような気がして安心した。

まだ二往復して、はじまったところで、期間はひとまずお試しの二週間、3月15日まで。わたしはどんなことを書くやりとりの過程で思うのか、怖さと不安と、すこし楽しみもある。

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