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2分間の夏休み

これは僕が小学生の頃の話。給食の配膳を待っている時間。同じ班の女の子2人としゃべっていた。そのうちの1人、林さんがこんなことを言った。

「ねぇ、2組の原さんが言ってたんだけどね、『ピカチュウのなつやすみ』って上映時間が2分らしいよ。」

「へえ〜……え、2分?」

当時、子どもたちの間で大ブームだったポケモンは、日常生活の1部のようなものだった。休み時間中、教室のどこかで必ず誰かがポケモンの話をしていた。ポケモンのアニメ放送を見ていない子はいなかったんじゃないか。

『ピカチュウのなつやすみ』は、ポケモン初の劇場公開作品『ミュウツーの逆襲』と同時上映される短編映画だった。内容は、たしかピカチュウたちがトレーナーのサトシから離れて、自分たちだけでひと夏の「なつやすみ」を満喫する…というものだったと思う。

だけど、その上映時間が、たったの2分…?

僕はすかさず林さんに異論をとなえた。
「いくらなんでも、2分は短すぎる気がする。あ、そうだ!…それって、20分の間違いじゃない?」

すると、林さんは逆に少し驚いた表情で僕に言い返した。
「いやいや、20分こそ長すぎるって。だって『ミュウツーの逆襲』があるんだよ?」

たしかに、『ミュウツーの逆襲』もある。そっちがメインだ。だけど、だからって、『ピカチュウのなつやすみ』が2分て。CMじゃないんだし…。僕は林さんにどう反論しようものか、考えた。辺りを見回すと、教室前方にある壁時計が目に入った。

「あの時計の秒針を見てよ! あれが2周したら、もう2分だよ?」

2分という時間の短さを証明したつもりだった。ちょっと嫌味が含まれていたかもしれないが、これならさすがに林さんも自分の間違いに気づくだろうと思った。

ところが、ここでそのやりとりを聞いていたもう1人の女の子、山崎さんが口を開いた。
「あたしも2分だと思う。」

「え?」

「20分じゃ長すぎるでしょ。」

林さんは、山崎さんの加勢に我が意を得たりといった表情で、
「ほら、2分だって。だいたい、そう言ったのはあたしじゃなくて、2組の原さんだもん。」

「……」

2対1の状況に何も言い返せなくなった(2組の原さんを入れたら、3対1)。そもそも、こちらの主張する「20分」も、確たる証拠があるわけではなかったし、また、主張を通したいなら、まず2組の原さんを説得しなくてはならない。そう思うと、反論の余地がなかった。

かくして『ピカチュウのなつやすみ』の上映時間は2分であるということで決着がついてしまった。

その後はすぐに別の話題に移り、この話が戻ってくることは二度となかった。ちなみに、後日どこかで情報源を確認して、やっぱり正しかったのは自分だったということが判明するも、あの場で意見を通せない限り、すでに手遅れでしかなかった。

この「『ピカチュウのなつやすみ』2分事件」は、当時の釈然としなかった気持ちのせいだろうか、あれから何年も経ったというのに、今でもふとした拍子に思い出される。隣のクラスの女子の言い分を信じる女子に、必死で反論しようとしていた男子の自分の姿が、切なくもどこか滑稽なシーンとして再生される。


ーーもしも、夏休みが2分だったら。

「『ピカチュウのなつやすみ』2分事件」が思い出されるうち、あるときから僕の中で「自分たちの夏休みもひょっとしたら2分間説」という、突拍子もない仮説が浮上した。

夏休みとは、例えば8月終わり頃までの一定の期間を指すはずである。だが、実際のところそれは勘違いで、本当の夏休みはほんの2分間だけなのかもしれない、というとんでもない話。『ピカチュウのなつやすみ』が2分間であるという説が有効になってしまったことで創造された、もうひとつの世界。


自分が毎年過ごしてきたあの頃の夏休みも、本当はどこかの2分間だけだったということになる。とすると、いったいどの2分間が「夏休み」だったのだろうか。
その2分間が、必ずしもひと続きの時間とは限らない。「正味2分間」という可能性だってある。


過去の夏休みのシーンを、思い出せる限りに思い出してみる。


あの頃の夏休みを、2分という時間の長さにこめながら、今夜はおやすみしたい。

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