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昔話に学ぶ《n》

ささ。今日はね。

伝えたいことがあるんだ。

それはあとに置いておいて。

今日は何を深読みするかと言うと、

『はだかの王様』

こちらを深読みしていくよ。

何故この話か

まぁとにかく聞いてみてよ。

内容は以下...


ある国に、

洋服が大好きな王さまがいました。

王さまは、きれいな服を買うために、

自分のお金を全部使ってしまいます。

お城では、一時間ごとに服をき替えては、

みんなに自慢をしているのでした。

王さまの国に、

二人の男がやってきて、

「私たちは、

世界で一番美しい布をおって、

きれいな服を作ります。」

と宣伝をしました。

そして、

「その服は、

まぬけな人には見えないのです。」

とも言いました。

男たちのことが、

まもなく王さまの耳に届き、

王さまはすぐに、

「私の服を作れ。」と、

男たちに命令しました。

男たちは、

すぐに布を織り始めましたが、

本当は何もしていなかったのです。

ただ、

仕事をしている振りをしているだけでしたが

男たちは、

王さまに、

「きれいな絹の糸と、お金をください。」

と申し出ました。

糸とお金をもらうと、

すぐ自分たちの荷物の中に隠しました。

さて、

王さまはどのくらい布が織れたか、

気になるので、

年を取った大臣を

男たちの所につかわせました。

大臣がみたところ、布が見えません。

でも、

男たちは、

「どうです、すばらしい布でしょう。

これで服を作れば、

どんなすばらしい物になるでしょう。」

などと言いますが、

もちろん、大臣は、みえないというと、

まぬけだと思われるのがイヤなので、

「実に見事な物だな。」と言いました。

それから王さまの所に行って、

「きっと

すばらしいお洋服が出来上がるでしょう。」

と報告しました。 

大臣の報告を聞いた王さまは、

毎日、「はやく洋服が見たい。」と、

男たちに催促しました。

とうとう、ある日、

「洋服ができました。」と、

男たちが言ってきたので、 

王さまは、

さっそく男たちの所に出かけ、

そして、裸になると、

男たちに服をきせてもらいました。 

「この服は、とても軽いので、

きているかどうかも、分からないほどです。」

  男たちは、そんな嘘を言いながら、

服をきせる真似をしました。 

「気にいったぞ。

では、町を歩いて、

みんなにも、この服を見せることにしよう。」

王さまは そう言って、

行列の用意をさせ、 

自分は、みんなによく見えるようにと、

馬に乗りました。 

行列が町を行くと、

人々は口々に、 

「すばらしい洋服だ。」

「なんてお似合いなんだろう。」 

と叫びました。 

見えないというと、

間抜けだと思われますから。 

行列がすすんで行くと、

突然、小さい子供が叫びました。 

「王さまは何もきていないよ。」 

すると、町の人々もみんな、叫び出しました。 

「そうだ。何もきていないよ。」

「王さまは裸だ。」 

そこで、王さまは

あの男たちに騙されたのだとわかりました。 

しかし、

いまさら行進をやめるわけにもいかず、 

王さまは恥ずかしさのあまり、

まっ赤になった顔のまま行進を終えると、

逃げる様にお城へ帰って行ったということです。

おしまい...


これってよくあるよね。

この状況ありありじゃない?

無知は最強じゃないけどさ

価値や意味が分かってないのに

とりあえずで返事して

やってみたけどどうにもならず

あとから意味が分かっても

取り返しがつかない状況で

ただただ恥ずかしい

ただただ悲しい

嘘から出た誠

嘘も方便

口から出たら世間

ことわざにも色々ある

そんなこと。

こんな学びもあるよね

価値は後からついてくる

価値の創造って割と自由

見えてない物にでも

大衆の力や

権力圧力がかかれば

認識が曲がることがある

これって結構怖い話だと思う。

仕事柄

障がい福祉に携わっているとね

こんなのおかしい

なんだこれ

間違ってる!

これが通用する訳がない

これめちゃくちゃある

でもね

正直それが当たり前に繰り広げられてる世界

もあって

それを目の当たりにしている人たちからすれば

それが当たり前になってしまってる

そんなこともあるんだよ

ネット社会も情報で溢れてる

何が正しいのか間違ってるのかは

実際問題分かんないけどさ

その人からすればそうだと思った

だから言った

ただそれだけなんだ

それが当てはまらない人もいると思う

だからと言って

個人を攻撃や否定する理由には

ならない

その人はそうだと思ったんだもの

立場や伝え方、配慮が大事なんだよね

自分はこうだから、あなたもこう

いくら自信満々でも

そんな決め付けは

やるべきではない

相手をどれだけ知っているのか

相手との関係値がどれだけ築けているか

それによって

伝わり方も遥かに変わってくる。

「しあわせ」や「ゆたかさ」を探求し、

最低限の幸福と社会的援助を提供する

それぞれの自己肯定感を満たし、

存在や居場所を与え

目的に向かって助け合う。

それが福祉。

「しあわせ」や「ゆたかさ」の基準って

人それぞれ違う

これがきっとそうだから

社会一般で考えて

普通はそうだから

そんな基準で決まっていいはずがない

その人がどうあるべきかは

他人じゃ決めれない

法律、条例、規則、規程、規定

色々あるけれど

個人がどうあるべきかは

自分で答えを出さないと

他人が決めることじゃない

勝手な決め付け

自分にとって

都合のいいものにすりかえる

「否認」「合理化」「躁的防衛」

「逃避」「反動形成」

心理的に物事から逃げてるんだ

裸の王様は

ヒトの利己的欲求が顕著に現れた社会の姿

なんじゃないかな

配慮

相手を思いやる気持ちが

集団 地域 社会を上手く築いていくんだと

思うのだけれど、いかがかな?

そんな私も勝手な決め付け

自身の勝手な見解を

だらだらと書き綴っている

これらは僕はこう思うんだけど

ただの感想文であって

他人をどうこう言うためのツールじゃない

記録、伝達って難しい

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このブランコ

かつてはゆらゆらしてたんだろな

公園の中でも大好きな遊具だった

揺れなくなって、ただの椅子になった今

子どもたちはこれでどう遊ぶの?

サポートがなんなのかすら理解できていませんが、少しでも誰かのためになる記事を綴り続けられるよう、今後ともコツコツと頑張ります!