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社会人短期留学記3 -アメリカに帰り、日本に戻る

気づけばあっという間に短期留学が終わろうとしている。
金曜に学校から修了証をもらい、最後の週末の今日はお土産ショッピングのラストスパート。宿舎の部屋はCVS(薬局)とTARGET(激安ストア)の袋で溢れかえっている。そいえばスーツケースちゃんと閉まるのだろうか…

当初は時系列に沿うような形で留学記を残そうと思ったけど、実際学校が始まっちゃうと記事を書く体力がなく(まぁ予想通り)この日を迎えてしまったので番外編のような内容を書いてみようと思う。

というのも今日最寄りのTARGETで「あー日本に戻るんだ」と思った瞬間、ジャンキーなおやつの陳列棚の前でふと涙しまったのだ。

戻りたくない。もっとここにいたい。

素直になれる言語

自分はバイリンガルというジャンルに入るのだが、良く聞かれるのがどちらが得意かという質問。その答えは「どちらも」。以前NiziUの子が自分の語学ゲージが100だったとして日本語:英語が30:70になったり60:40になったりすると話していたクリップを見たのだが、それを見ながら自分は100:100だなーと感じた。それはどちらも完璧というわけではなく、日本語のときは脳が100%日本語になるし、英語のときは100%英語になる感覚なのだ。

じゃあ違いは何だろうというと自分とその言語の関係性だということに気づいた。英語になるとすごく素直になれるのだ。人をほめるのも、自分の気持ちを表すのも、なぜか英語の方がするりと取り繕うことなく出てくる。

だからこの2週間は気持ちが楽だった。
自分の言葉に無理がなく、それがすごく心地よかった。

鎧はいらいない

英語では素直になれると書いたものの、それでも高等教育の英語を自分が思うように操れるかは別の問題で一番の不安要素でもあった。さらに大人になってから興味を持った分野の研究ということもあり、ほかの参加者とのスタートラインの違いが不安に拍車をかけた。だから鎧をまとうことにしたのだ。出来る限り論文を読みあさって、下調べをして、そして「負けないぞメンタル」を武装して学校初日に乗り込んだのだが…

鎧はいとも簡単にはがされた。

それはどんな状態でもここの学問の場に参加するということが大事であり、自分が自分であることに意義があると迎え入れてもらえたから。ずっと聞かれていたのは「この場に参加しようとしたのはなぜか」「この先どうしたいのか」。肩書きも大学も取得学位も誰も何も聞かない。私みたいなペーペーが校長先生やベテラン教諭と一緒に同等に学べている。さらに私の意見も平等に聞いて敬意を示してくれる。この空間が何よりもうれしかった。

ここを離れるのが名残惜しい

自分のDNAには幼い時に培った「らしさ」があると思っている。ボストンだろうがLAだろうが、空港に着いたとたん自分は帰ってきたと思えるから、やっぱりそういうアイデンティティが自分にあるんだろう。

4年ぶりに帰ることができたアメリカ。
しっかりと2週間住むことができたアメリカ。
自分はここでやっていけるというちょっとした自信と愛着がここに沸いてしまっている。だから離れるのが名残惜しいのだ。

自分が自分らしく入れる場所をここに見つけてしまったような気がする。

そんなとき、関ジャニ∞がYouTubeに18祭の映像をアップロードした。楽曲は《歓喜の舞台》

まちわびた今日に 繋いできた想い 苦悩 超えてきた決意
憧れの向こうに 想い馳せ 共に 夢見てた未来の先へ

このフレーズがボストンに降り立った自分の心境そのまんますぎて、動画を泣きながら見ていた。


私はこの曲に出てくる「いつでも背中押す大切な人」は日本にいるからそこに戻りたいし、アメリカにもできたからここにまた帰りたい。


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