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「できません」ではなく、「やってみます」の精神で

「この仕事場って、モチベーション下がりますよねぇ」

同期にそう言われ、初めて、私は仕事に必要なのが「モチベーション」なのだと知った。
それまでは「やるべきことをやる」のが会社に入った人間としては当たり前であり、そんな自由があるとは思ったこともなかったのだ。

ついでに、「サボる」ということも知らなかった。
仕事は終われば次が来る。ほいほいほいほいと処理していくのが仕事だと思っていたし、そう信じていたし、それが当たり前だった。

だから、仕事場の先輩がうまい具合にスマホでゲームしているところを見て目をひん剥いたことがある。何やってんだこの人、と。

しかし、それでは仕事が長く続かないこともうすうす気づいていた。
全力疾走していたら失速するのは当然で、私はそれが「社会」だと信じ込んでいたのだ。誰に教わったわけでもなく。

そんな風に社会にうまく適応できていなかった自分だが、一つだけ仕事について誇らしいと思っていることがある。

たとえ意地でも「できません」とは口にしないし、心にも浮かべない。

今の仕事場では、様々な仕事が舞い込んでくる。ベンチャー企業だからというのもあるだろうが、圧倒的な人手不足で、その上パソコンを使える人間がほとんどいなかったのだ。

なので入社時に。

君にはオールマイティーな人間になってほしい。

いや、これにはさすがに「んな無茶な」とは思った。が、もちろん言わなかった。

私は、結局のところ、仕事場の「何でも屋」になった。

初めてillustratorを使って習ったこともないデザインを見よう見まねで勉強してチラシや冊子を作り、社長が満足するものに仕上げた。
初めてWordpressに触れながらも情報を集めてホームページを管理し、そのサイトの記事も「ライター」として作成してきた。

その後は新しいホームページを作成する担当になった。

細かなアイコンやデザインなども、デザイナーには頼まない主義だった会社の方針に従って自分で作った。
社長はフラッシュアイディアを持つタイプだったので、「こうしてほしい」と言われれば何でもやった。

「できません」だけは口にしなかった。

私のほかで「できない」と口にする人には懇切丁寧に記事の書き方や、店の掲載許可のとり方、果てにはパソコンの基礎的な使い方を教えていた。

もしも、パソコン講座の講師をしてくれ、と言われれば60代だろうが80代だろうが教えられる自信がついた。

けれども、ある時ふと体調を崩し、それが続いてしまっているので、その役目はすべていろいろな人に拡散していった。

こういってはあれだが、私の犠牲があったために一か所に業務を集中することは危ういと気づいてくれたのだと信じている。

「できないを言わない」という言葉は、忙しくはなるけれども自分をグンと成長させてくれるものだ。もちろん無茶は禁物だろうけれど、「何とか頑張ってみます」という言葉でもいいと思う。

まず、否定しないでほしい。自分にそんなことは「できない」のではなく、「やってみてダメだった」なら大概の人は許してくれるのだ。

「やってみたら意外にできた」というのは一番ラッキーで、それは自分の血肉となって会社だけじゃない、いろんな場所へと羽ばたける自信をくれる。

だから、ぜひ。
「できない」とは言わないで、「やってみます」と言ってみてほしい。

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