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出会い


この裏トゲ、すごいですね。
しゃがんでアガベを見ながら巣立ちさんは言った。葉の表面に直接触れないよう気をつけて指をさしているのがわかった。3月の強い風はその澄んだ声をかき消しはしなかった。風の音はわたしの返事のほうをもみ消したようで、巣立ちさんはわたしを見上げて言った。すみません、今、なんと? わたしは風が通りすぎるのを待ってもう一度、ほんとうですね、と言った。さらに心の中でもほんとうだ、たしかにこの裏トゲは強い、とくりかえした。

アガベは和名で竜舌蘭と呼ばれていて、鋭い牙に似たトゲが葉の輪郭を取り巻いている。ライオンの立て髪のようにトゲが葉を覆っている植物だ。裏トゲと巣立ちさんが示したのは、ライオンで言えば後頭部に大きな角が生えている様子を思い浮かべるとよいのかもしれない。葉の内側ではなく、外側に生えているのを裏、と表現している。あまり見かける特徴ではなく、荒々しい印象が増すという意味でも重宝される。巣立ちさんが両手で抱えているそのアガベはチタノタと呼ばれ、白いトゲが目立つ種類だ。チタノタにかぎらず、アガベの面白いところは個体差だと思っている。似ているようでひとつひとつ違う。形の違いが楽しい。

そのチタノタはヨーロッパのナーサリーから数多く仕入れ、インスタグラム上で販売した。巣立ちさんが手にしたのは、形が悪いから、と売らずにわたしが自分用に取っておいた最後のひとつだった。発根させてしばらく育て、形が整うのを待とうと思っていた。実際に育ててみると成長は速く、どんどん大きくなっていった。形も整い、春を前に立派な姿を予感させつつあった。売る気がなくなり、すっかり私物として管理するようになった株を、なぜ販売することになったか。それはうっかり引き起こした、わたしの手違いがゆえだった。売る気のない貴重なチタノタの最後の一株を、販売会の当日になっても外に置きっぱなしにしており、鉢ごと巣立ちさんの両手に抱えられることになったのだ。あれから一年が経つが、同じ特徴を持つチタノタをナーサリーにリクエストしても輸入できたことはない。

巣立ちさんと駅で会ったときの第一印象は物静かで穏やかそうな人だなというものだった。その印象は駐車場に着いてからも変わらず、ひとつひとつの株を手に取って観察する時間へとゆるやかにつながっていた。

ただ違ったこともあった。巣立ちさんが自分でよいと思った部分をはっきりと口にしていったことだ。いかついトゲですね、葉の丸みが好みです、この緑色の雰囲気はめずらしいですね。ひとつひとつの感想が一対一でアガベの個体に結びついていた。巣立ちさんとアガベが同時にそこに生きて存在し、向かい合っている証拠のようにも感じられた。

この対面の販売会は偶然からはじまった。マンションの壁面を塗り替えるために、ベランダの植物をすべて外に出すことになったのだ。作業期間中は洗濯物を干さないでくださいと言われたので、ベランダのほぼすべてを埋め尽くしている植物用の簡易温室も外に出すしかないだろう。どうにか動かさないで済まないものか、といつもの先延ばしぐせでためらっていた。この量を動かすのは面倒だ、ラックを倒してしまいそう、葉を折ってしまうかもしれない。そんな気持ちばかりが先に立った。ベッドに倒れ込み、目を閉じた。冷静になり、事故や面倒なことに発展するよりはいいと判断したあといつもの自分を引きずっていた。マンションの管理会社に電話をかけ、呼び出し音を耳に入れているときもまだ、わたしは言い訳を頭の中にためていたのだ。告知から作業開始までの期間が短くて移動できなかった、動かなさいで対応できる方法はないか、この部屋を借りている権利がわたしにあるということについてどう考えているのか、など。

電話の相手はすぐに事情を飲み込み、自宅前の空いている駐車場を工事期間中のみ無償で貸し出すと返答した。断らなかったのは、管理会社の譲歩を善意と受け取ったからではない。一転して別の欲が出てきたからだ。ここに人を呼んで実際にアガベを見てもらったらどうか。植物を実際に運び終えるまで3日間の作業時間が必要だったが、並行してインスタグラムで販売会を告知した。そうしてはじめて巣立ちさんと出会った。

巣立ちさんとの関係は販売会のあとも続いた。株を買ってくれるだけではなく、仕入れた株を見てもらい、どう感じるか意見をもらうようになった。巣立ちさんはアガベをしっかり見る。輸入して発根させ、日光と水を浴びせて何ヶ月も家で付き合ってきた株について、わたしでは気づけなかった固有性を言い表してくれる。穏やかな声はあの日のまま変わらない。あるアガベが別の個体に変わったかのような瞬間もあった。わたしの目を通してではなく巣立ちさんの目を通してアガベを見るようになった。

それは発見ではなかった。わたしが気づけていなかっただけで、もともと備えていた特徴を、ただ巣立ちさんが世界にむけて報告しているのだった。アガベはもともと個体差を持っている。それを目でとらえ、言葉にするのが巣立ちさんだった。心地のよい表現がわたしとアガベのあいだを潤わせていった。あの株を手放したことはまちがいなどではなかった、むしろ幸運な出会いに恵まれたとようやく気づいた今も、まだお返しができていない。その上さらに多くの人々にアガベを見せる機会を、このあともたらしてくれることになったのだ。


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