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熱海の片隅から−−2020年の卒論に代えて

2020年1月3日、私は熱海へ向かった。まだコロナウイルスは、大陸のとある地方で発生した新種のウイルスという、小さなニュースに過ぎなかった頃だ。正月の親戚の集まりに笑顔を貼り付けて参加した後、私が一人暮らしの家に帰ってきてできたのは、涙を流すことだけだった。先立つ12月にずっと続けてきてた「曖昧な関係」をはっきりさせたくて、彼に食い下がった結果、音信が途絶えた。そのまま、一人迎えた新年だった。

気晴らしに海でも見に行こうと思いつき、職場の駅の電光掲示板に表示される「熱海行き」が頭に浮かんだ。温泉にも入れそうだし、いいじゃないか。下調べも碌にしていないが、とにかく今、ここではないどこかへ行きたかった。

熱海に到着したのは、夕焼けで空が染まる頃だった。ファミリーやグループがビーチで和気藹々としているのを横目に、私はトボトボと歩きながらオレンジ色を反射する海を眺めた。今夜は、海のすぐ近くのホテルに泊まる。道中に慌てて予約した簡素な一人用の部屋にチェックインし、温泉に浸かりながらすっかり暗くなった海と空を眺める。

こうして知らない街を歩いてみたって、涙をどれだけ湯で洗い流したって、悲しみは無くならず、ずっとまとわりついてくることを思い知らされる。夜の街を少しだけ散歩するも特に何をする気にもなれず、ふらりと入った店で少しのアルコールを胃に流し込み、宿に帰って寝ることにした。せっかくだから海岸で朝日を見よう。それだけを決めて。

翌朝、アラームで目が醒める。窓の外はまだ暗い。外へ出ると空気は冷たく、海の水はぬらりと黒くてどこか不気味だ。ひっそりとした海岸の階段に腰掛けて、暗い海を眺めていた。すると、一筋の光が差してきた。目の前いっぱいの水平線に、溢れる光を纏った陽が昇ってくる。さっきまで暗く重くそこにあった空が、金色に、オレンジに、青にと色を変えながら広さを取り戻す。光の筋を感じると、その部分だけふわりと温かくなる。太陽の暖かさを感じると、自分がほっとしたのがわかった。どんなに悲しかろうと毎日太陽は巡ってくるのだと、当たり前のことを再確認する。ここにきてみてよかったと、朝日を見て初めて思った。

この日は二つの神社に向かうことにした。山の上にある伊豆山神社では、バスで山を登ってさらに長い階段進む。たどり着いた本殿の前で振り返ると、そこから見える空と海があまりに清々しく、これからの人生を祝福されているように感じた。大きな楠が祀られている来宮神社では、大楠からほとばしる気のようなものを感じる。途方も無い年月ここに居る楠の前では不思議と、自分の憂いなど他愛もないことのように思えてきて、心がすっと落ち着いた。ひいたおみくじは大吉だった。「あなたは大丈夫だよ」と言ってもらえたような気になって、これまでとは違う涙が出た。これなら穏やかな気持ちで東京へ帰れそうだと、迫る仕事始めのために熱海を後にした。

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その日の夜、彼から連絡が入った。「そこまで言うなら」と、やっと付き合う約束を取り付けることができた。言い草に釈然としない気持ちはあったけれど、あれだけ神様に祈った後だ。これが私にとって最良の道と言われているのだと、そう思った。

しばらく良い関係を保っていたが、徐々に彼の仕事が忙しくなり、同時にコロナウイルスが猛威を振るい生活が一変してしまった。どんどん連絡が取れなくなり、返事が来てもあからさまに私に興味がなくなっていると感じざるを得なかった。手からどんどん零れ落ちる物をどうにか掬おうともがいていたが、6月には「もう会いたいとは思わない」と言われてしまった。あんなに悩んでもずっと踏ん切りがつけられずにいた関係を、あっけなく清算するに至った。

この恋は上手くいかないと自覚したのはもうずっと前のことだ。恋愛指南本や恋愛相談の記事を読んでも、私のケースは典型的なダメな例だった。ありふれ過ぎていて、悲しむにも値しない。「こんなのよくある話なのだから痛くないはず」と自分に言い聞かせ、傷を見ないようにした。でも本当のところはずっとずっと、自分が選ばれなかったことが悲しかった。

「たかが失恋」でぼろぼろになったのは、自分自身の価値証明を彼に託してしまっていたからだ。何者かになりたいのになれない、自分の満たされない願いを、何者からしき人の付属品になることで叶えようとし、自分がこの世界にどう存在していいのかわからない不安を「彼が私のことを愛している」ことで埋めようとした。それだから「あの人に愛されて、肯定されるかどうか」という価値判断の軸を失ったことで、自分の行動の「正解」がさっぱりわからなくなってしまった。人生全てを奪われた気になった。代わる物を探さなくてはと、本を読んだり、WEBの記事や動画を漁ってみたりする毎日。でも、誰の「正解」もしっくりこなかった。代わる恋愛相手を見つけるというのが、一番手っ取り早い処方箋なのだろうと思いつつも、彼より「正解」をくれる人を探さなければと思うと、その難易度の高さに元々重い腰がさらに重くなった。

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こんな有り様の私の回復に効いたのが、ひとり旅だった。9月に決行した瀬戸内海の島々への旅行は、2020年で自分のとった最も良い行動だったと思う。

どこを訪れ、どれだけ時間を使うか、どんな宿に泊まり、食事をするか。あるいはしないか。一人旅は、自分をどうしたら喜ばせられるかの小さな自己決定の積み重ねだ。誰かと一緒なら同伴者の希望が気になってしまうが、一人ならその必要はない。自分がどんなことで心が動くのか、誰に取り繕う必要もなく小さく確認し続ける。一人旅の道中が、万事上手くいくというわけでもなく、交通手段を間違えたり、道で転んだり、目当ての店が閉まっていたり、珍道中のエピソードも数えればきりがない。しかし、旅をしながらこれまで自分が「失敗」だと認定してきたものが、必ずしも恐れるべきものでもないとわかってくる。自分さえ面白がって受け止めれば、ただの良い経験だ。

もちろんそれは日常の生活でもできるはずだ。けれども、日常には慣性が働いて「決める」前に行動してしまう。旅の慣れない場所の中では、どこに行くかもどの時間のバスに乗るかも意識して決め続けなければならない。自分の決断によって自分の心を動かすことができたという、ささやかな成功体験を積むこと。これによって誰かの価値基準に則ったものではない、自分の身体感覚に基づいた感情を手に入れつつあるように思うのだ。

失恋後の心の空模様は「私を大切にしてくれなかった相手が全部悪い、懲らしめて不幸にしてやりたい」と憎しみの感情が溢れてくる日もあれば、「全部信じられない私が悪かった、泣いて詫びて許しを乞いたい」と思う日もあり、シーソーのように極端に上下を繰り返していた。しかし今は、あちらの不誠実だったところもあるし、私も全てを相手に寄りかかろうと幼稚なことばかりしてしまったなと、幾分か冷静に受け止められる。恋愛に限らず人間関係のすれ違いやいざこざに、100%どちらかが悪いなんてことは無い。頭で無理矢理に言い聞かせていたことが、ちゃんと腑に落ちつつある。そうなれば、ここまで大切に思えた人と出会えたこと、その人と時間を一緒に過ごし、自分にとって幸せな時間があったことを、心から良かったと受け止められるようになってきた。

彼を失った私には、代わりの「正解」や、今まで寄りかかってきた他人や社会の「あるべき」という軸を新たに見つけて借りてくることではなく、拙くても少しずつでも、自分で自分の軸を作る時間が必要だった。即効性のある薬で治療するのではなく、根気と時間のかかる体質改善だ。決してまだ完成されていないけれど、この作業がきっと、長い目で見れば自分の人生を歩き抜く足腰を鍛えているのだと思いたい。

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2020年の年の瀬に私はもう一度熱海を訪れた。年始に訪れた神社に再び足を運び、一年の顛末を神様に報告する。どんな厳しい言葉が返ってくるだろうと、不安に思いながら引いたおみくじは、また大吉だった。スコンと晴れた気持ちの良い日だ。

今回は、海が一望できる露天風呂が自慢の温泉施設まで足を運んでみることにした。せっかくなので夕陽の時間に合わせて向かうと、露天風呂から一望できる空と海に、水色、黄色、ピンク、紫……淡い色のグラデーションが広がっていて、夢見心地になった。

海と空のあわいに、ひときわ光っている小さな雲がある。見つめていると、光はどんどん大きく丸くなっていく。雲ではない、月だ。だんだん藍が深くなる空に、月がぐんぐん昇ってくる。眼前にどんと現れた満月が、まっすぐに海を照らす。ささやかに波の音が聞こえる。

熱海の日の出で始まった一年の終わりに同じ地で満月が現れるのを眺めているなんて、出来過ぎた物語のようだ。けれど、この物語の主役は紛れもなく私だ。月に照らされながら温かいお湯に包まれ、一年を労われているように思えた。胸と目頭がじんと熱くなる。幸せな熱海の夜であった。


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