仕事の10年を振り返る[後編]

前編はこちら↓
https://note.com/platina_jun/n/n95988a00ada5


前編の最後はプレーヤーから内勤になる所で終わった。
内勤になった時俺は確か24歳とか。
色んな人から、内勤になるにはまだ早くない?まだ若くない?と沢山言われたが、系列のPLATINAとMr.の社長の瀬女蘭さんは、「やっとなったか!!」と言ってきた。
俺が甘い考えを持って池袋に行って、結果何もしてなかった事は見え透いていたのだろう。
内勤になってから1年程したら売れっ子がふたり抜けて店の売上はかなり危なくなり、店を畳む事になった。
その結果、俺はPLATINAでお世話になっていた力さんが代表を務めていた、歌舞伎町のEROSというお店で内勤をする事になった。

2018年
EROS入店
その時のEROSはと言うと、注意する人が誰も居なかったのか無法地帯になっていた。キャストは内勤の指示は従わないし、バックヤードで店の酒を飲んでサボるのは当たり前。
力さんに相談したらどんどん注意してくれと言われたので、完全にルールや指示に従うように言い続けたら、売上の無いキャストの半分近くが減った。
その時に力さんやグループの統括の比留間さんという人から言われたのは、「間違っている人にただ正論だけを言うのは違う」という事だ。
当時の俺は言ってる意味が全く分からなかったが、今なら分かるし自分が部下を持ったら同じことを言うと思う。
誰もが正論を素直に受け入れる事が出来るわけではないし、その人が何を考えてるのか、どういう伝え方をしたら受け入れてもらえるのか、そこまで考えるべきだった。
PLATINAと合同営業をした際にも瀬女蘭さんから「じゅんは次は怒らなくなったら1歩成長だね」と言われた。
今でもこの言葉は頭に残っていて、意識している。

俺がマネジメントに四苦八苦している頃、PLATINAでやらかしたキャストを使ってくれないかと話が来て、俺が勝手に受け入れたら上司から怒られたので、こいつの面倒は俺が見ようと腹を括った。ここではそのキャストの名前はTと言おう。
Tはボーイからやる事になり数ヶ月後プレーヤーに復帰したが、売り上げは全く上がらなかった。
Tがある日、明らかにお金を使いそうな女の子を初指名で呼んだ。
営業後にTはどう対応したらいいか分からないと言ってきたのでアフターに付き合い、次の日に「お前の判断より俺の判断の方が少しでも良いのは間違いないから、全部俺の言う通りにしろ。」と言った。
その日からは、朝起きたらTからLINEで女の子とのやり取りがスクショで送られてきてその返事を俺が考えて、出勤したら俺がTの携帯で直接LINEを打つという日々が続いた。
自分はプレーヤー時代全然売れていなかったが、PLATINAと池袋で生活を共にしていた冬空 雪咲(ゆき)さんという先輩に毎日言われていたホストとしての動きをそこで最大限に活用した。
プレーヤー時代は怠惰で言われてもやっていなかったが、頭の中にその教育は残っていた。
すぐにTは売上が上がり始め、店での中堅くらいの立場にはなった。

その後EROSは店の家賃の割に売り上げが低いということで畳む事になり、力さんと俺で新しくSLYという新人教育特化型の店舗を立ち上げる事になった。

2019年
SLYオープン
池袋の時と違って内勤として新規店に携わることになった俺は、毎日エンジン全開で動いていた。
勿論TもSLYに一緒に来て俺が面倒を見続け、オープンから数ヶ月連続でNo.1を取り、グループのナンバーにもランクインするようになっていた。
そのTが従業員達に「この人に相談してNo.1になれた」と言ってくれていたお陰で、新人たちは頻繁に俺に仕事の相談をしてくるようになった。

すると次はKという新人が空いた時間は全て池袋の俺の家で過ごすようになり、お客さんの相談に乗りながらゲームをしたりして過ごしていたらそいつも売り上げが上がっていった。
この、生活を共にして細かい部分まで指摘をするのが一番効果的だと思った俺は、勝手に1ヶ月程休んでいたGというキャストを無理やり自分の家に住まわせた。
Gは毎日「なんで俺はじゅんさんと住まないといけないんだ」「あーあ、早く寮に戻りたい」と言っていたが、俺は頑なに俺が言った金額を売るまではダメだと言って、毎日決まった時間に一緒に起きて、一緒にLINEを考え、一緒に飯を食った。
するとGも3ヶ月程で売上を上げるようになった。
そうしていく内に俺は店長になり、店にはかなり愛着を持っていた。
よく他の店の人からは「あの素人集団であの売り上げは凄いね」と言ってもらえた。
基本的にホストクラブで教育チームを作る際は幹部キャスト数名がリーダーになるが、幹部が少ない頃は俺が自分でチームを持ったりもした。

そうすると俺はSLYを自分の店くらいに思うようになり、社長の力さんと店の創り方で何度も衝突した。
今思うと自分の考えを押し付け過ぎていたとも思うが、あの頃の俺は全てをSLYに捧げていた。
力さんは社長としての動きをしたくて、一方俺は店のためにこうして欲しいと言っていたりして、噛み合わない期間が続いた。
最終的にSLYは黒字ではあるものの人手不足で畳む事になってしまい、それと同時に俺は全てのやる気を無くした。


2022年
HAREM入店
やる気は無いがやりたい事も無い俺は、会長に言われるがままグループの本店のHAREMに勤める事になった。
最初は、日本一クラスのホストクラブの運営を見れるなら自分のプラスになるかなと思っていたが、実際は内勤の人数が多くて仕事の分担が細分化されていて、今まで小規模でも1店舗をひとりで運営していた俺からすると内勤の業務で新しく学べることはあまり無かった。
その時はSLYにまだ未練があり、この内勤の中で俺が一番仕事出来る自信があるのに、なんでSLYはああなってしまったんだと通勤の電車で泣きながらグループの比留間統括にLINEで愚痴ったりしてしまった。
しかしやっていく内に学べる事もあった。
大規模な組織をまとめる為のチーム制度に感動した。
基本的に副主任以上で希望する者がチームを持つという事になっていて、そのチームリーダー達はどの人も今すぐ新規店の代表を任せても大丈夫と思えるような人ばかりだった。
流石は日本一クラス。
そのリーダー達を束ねているのが、プロデューサーの高見怜という人だ。
今までの俺の上司の中で一番仕事をしていた人だと思う。

なんだかんだ店に馴染んでいく内に、HAREMの2号店のHAREM-NEXT-を立ち上げると言う話が出て、SLYの経験で小~中規模のマネジメントに自信があった俺は是非やりたいと言った。


2022年 年末
HAREM-NEXT-オープン
いろはさんというもう一人の内勤とふたりで、せっせとオープン準備をした。
SLYの頃俺がやっていたような役所等との手続きは全て高見怜さんがやってくれたお陰で、かなりスムーズに準備出来た。
本店の名前を使った2号店という事もあり、売り上げのあるキャストが数名居る状態でのスタートだったので数字に困ることも無く、幹部キャストが教育をやってくれて俺は補助程度で済んだ。
SLYの時の様に俺に仕事を聞いてくるキャストも出てきて、そいつは新人の中で一番最初に結果を出した。
SLYの時の様にみんなと仲良くなり、自分が何もかもやらないといけない訳では無いので毎日楽しく仕事が出来た。

しかし、HAREMの頃から少し抱いていた気持ちがあった。
「俺はずっとこれをやるのだろうか?」という気持ちだ。
それは日に日に大きくなっていき、池袋の頃に代表をやっていた、ましろさんに相談したりもした。
ホストクラブの内勤としてやることは一通り学べたのではないか。
今後の人生、もっと見聞を広げるべきではないのか。
そう思ってその気持ちを素直に会長に伝えた。
会長はまず、長年頑張ってくれてありがとうと言ってくれた。
それから何度も何度も会長と話をしていって、「ローランドが大阪に店を出すから、最後に手伝ってくれないか」と言われた。
物凄く抵抗があったし、最後の店はNEXTがいいと思っていた俺は断り続けていたが、最終的には会長の熱量に負けて承諾した。
年内オープン予定のthe club大阪。
今までの自分の経験を活かせるのか、新しい何かを学べるのか、そもそも成功するのか、俺には何も分からない。
ただ、絶対に成功させたいという会長の意思は伝わったので、そこには全力で応えていこうと思う。


前編と違っておもしろトークはありませんでしたが、いかがでしたでしょうか。
大阪行くのは正直ビビってますが、これでまたひとつ新しい景色が見れたらなと思っています。
書いていく内に色んな人への感謝の気持ちと申し訳ない気持ちが込み上げてきました。
おもしろトークだけで言ったら死ぬほどあるので、それもいつか綴りたいと思います。

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