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強欲と甘ったれ

大人になってから仕事がなかったことはないが、いつも仕事があるということに感謝している。
やりたい仕事ではあるものの、需要が伴わなければ意味がない。それでバランスを大切にしている。
これを求められているのだなーと思うと、どうにかして応えようとする。ここで重要なのが、応えられないとき、無理だなと思うときは『すみません。それは無理です。でも、ここまでなら出来ます。』等の代替案を出すことにしている。
これは多分忘れもしない27歳頃だったか、原因不明の病気で1年ほど身体が言うことを聴かなくなった体験があるからだと思う。

自分を課題評価しない。どちらかというと精神も身体も弱い。
だから、一人でやっている時には気が遠くなるほど大変だったことが、二人三人と手が増え手伝って貰えることでとんでもなく楽になる事も知っている。決して強くない私が言うのもなんだけど、世の中にはスーパーマンは居ない。一時的に万能感を持つ人が居るけれど長く続けると大病を患う。

だからあの日からいつも感謝している。動けることや貢献できることの幸せを。

その反動なのか、ぶちぶち文句を言ってああしてくれれば良いのに、こうしてくれなかった、やれ傷ついたという人の話を長くは聴いていられない。(仕事以外では)
自分が口に出した要求が全部叶って当然だ、誰かはやってくれてしかるべきだと思っている人は、よく仕事を休む。

少しは手を貸すがキリがないということを知っているので対応し過ぎないことにしている。なんたって『一緒に苦しんで下さいよ。前に進まないで下さいよ。』という魂胆の人たちなので、それはどんなに強い人でも重すぎて支えきれない。

色んな人の話を聴いていて最近改めて思うことがある。人は好きなようにしかしない。だからその選択には責任があると。

もしも立ち止まって耳を傾けてくれる人が居るときは、私だったら感謝を忘れない。そうすると、こんなに弱っちい人間でも、翌朝には立ち上がり、何とか人並みに生きていけるものだ。

ある人のラインを読んでいて、そんなことを思った。あまりに傷つきやすい人というのは、感謝もなく常に強欲過ぎる。他人も多かれ少なかれ辛いことがあるのだということを忘れている。

よく分からないけれど、私はただ前に進む。
人に出来ることというのは、さほどないが、唯一他人を大事に出来る方法があるとすれば、自分を大事にすることだ。あまりネガティブなゲームに付き合わないことに尽きる。

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