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自分として人として

多くの人にはどうでも良い独り言を書いているのだけど、読んで下さったり好きボタンを押して下さる日々に感謝。

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感謝しているからどなたにでも好きを返すのか?というとそうでもない。他にもそんな方がいらっしゃって、こんなこといちいち書くことじゃないかも知れないけれど、好きなことが書けるのもこのnoteということで。

リンク先に飛んで行って読んでみた時、『毎日天使や神の言葉をお届けしています。』という方はスルーだし、ご自身が飼っている犬や猫に喋らせているてい体で書いていらっしゃる方も、ちょっと静かに閉じてしまう。

自分で書いていることなのに他者や他の存在が語っていることにしているというのはどういうことだろう。

なんて、まあ、今書いていて思うのは、照れ屋さんで可愛いのかも知れない。見ようによっては。

でも、どんなくだらないことを書いていても「はい。確かに2023年の6月29日の私はこんなことを言いました。」って責任(?)は背負わないとなあ。
責任というと自由と真逆の言葉なので何だか窮屈なのだが、私は心が小さい人間なので匿名の中の匿名で人を見下したり、そのスタンスでしか言いたいことが言えない人は無理なんだろうなあと思う。

コロコロ変わるのが人間。でも、その瞬間の自分のことを自分と言えないのはちょっと悲しいなあ。

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昔、心理学の学校に通っている頃、上層部に物凄く支配的な人が居て、自分は全てを見抜いているぞ!と言わんばかりに秘密の話題をふって来る人がいた。
その会社の社内メールでのやり取りなので、その人には生徒同士のメールを覗き見できる権限があった。それを読んだ上で「最近、ストーカーにあってない?何だかそんな気がするんだよ。」とあたかも超能力者を装って話しかけて来るとか。

思い通りにならない生徒にしつこく嫌なことを言うので、えーと、まあ、その生徒と言うのは私のことなのだが、『どうしてそんなに同じことを何回も言うのですか?』と皆の前で尋ねたら『いや、天からのお達しが降って来るんだよ。』と仰っていた。

まあこれも、単なる人のせいだよな~とその団体に限界を感じた瞬間だった。人のせいにするために、まあ、人間は神だの天だの動物だの、親だのと色んなものを使うものだ。

『あなたの講義を受けに来ているので、別に天の神だか何だかと話しているわけではありません。あなたが質問に答えて下さい。』とお伝えした。

実際私はその学校で沢山の学びや出会いがあり、今でも心から感謝しているので、実に残念な出来事だった。

愛が足りないと、あるいは愛を感じる力が弱いと、自分を超能力者や特別な存在に見せたがる人に成り下がる。

ただ素で居れば、本当のあなた自身に合った人が集まって来るというのに。

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