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それは誰の感情なのか

以前派遣で通った有料老人ホームは、良い大人がギャー!と泣くほどの揉め事が多い施設だった。まあ、施設長が猜疑心と嫉妬の塊のような女性で、職員の心まで支配しようとする気狂いだったので、自ずと職員にも同じような性質が伝搬する。

が、騒ぎは大抵私が居ない日に起こっていた。そして出勤するなり何があったか?を聴かされるというサイクルだった。

多分だけど、私はそういった誰かに対する悪口や罵詈雑言を話しても反応が薄いのでつまらないのだろう。

そして、そういったことを話題の中心にしたがる人というのは、その実、自分自身も人に悪口を言われるのを怖がっている人。そんなわけだから、言われる前にもっと強烈な噂、ネガティブな話をしなくては!というふうに癖がついているらしい。

そんなことを思い出したのは、今の施設で、ある人物が居ないと揉め事もなく、皆が普通に仕事が出来るということに気づいたから。

良い人なのにな。何故だろう?

正義感が強くて人懐っこくて、誰にでも明るく声をかける。が、誰かが誰かの悪口を言っていると、それを解決しようとして相手の元へ行って『良くないよ。ダメだよ。』と烈火のごとく怒って言い放つ。さらには、『あの人があの人にこんなことをしていたよ。』という話を複数の人にする。

それは良いのだけど、いつしか、『あの人に言って貰おう』という意図で彼女に話している人も見かける。文字通りけしかけている。

常に動いていないと気が済まなくて、平和がつまらないと感じてしまう彼女の気質が色んな悲劇を生んでしまう。人へのかかわり方のパターンがそれだけになってしまうと悲しい。

けれども、その合間合間に確かな関わりがあった。私がその騒ぎに巻き込まれない質だったからこそたまたま会えた本当の彼女。

自分のことは自分で解決しなければならない。いや、少なくとも解決しようとしなければならない。次に人の手や人の胸を借りて行く。という順番は守った方が良い。

何故なら、人が人の荷物を持とうとしたり、あるいは片づけようとしたりすると、わけがわからないことになるからだ。
それを狙って『ねえ、私の荷物を片づけて。困っているの。』と頼んだその後に『何、これ。どうしてこんなふうにしたの?』と言う人が居る。
そして、そうなると分かって居ながら困っている人を探してはその人の荷物を持ちたがる人がいる。

人は人の荷物(問題)が気になって仕方がないようだ。何故ならば、人のそれを観ている方が楽だから。

しかし、それが関わりだと勘違いしやすい人々は毎日炎上してしまう。

ただ、私はその正体があまりにつまらないメカニズムだと知っているから、そのモードに乗らない。反応しない。

要するにその手の人たちにとって、私は最もつまらない人間なのだと気が付いて、少々嬉しくなった。

何せ、自分を見詰められないがために、元から大きな怒りを抱えた人が何でも人のせいにするというテンションは、こちらもおもろない。長生きすると、その何かから目を背けるための騒ぎが一番退屈なのだと分かって来る。

逆にもう誤魔化せないというシビアさが付いて回るが、その代わり、本気でお腹の底から笑ったり泣いたりできる。

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