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迎え火

以前居た施設ではアサーショントレーニングやアンガーマネージメントなどの講義を求められた。

心理学を自分自身に役に立てて行こうと思っていたのだけど、案外他の職種の現場でも需要があるのね。

が、そんな中でも是非必要!と思いつつも中々取り組めなかったのがグリーフケアについてだった。
ご家族様だけでなく、職員もご利用者様の看取りを行った後も悲しみ続けている。できれば皆でその人のことを偲んで語り合う時間が持てたら良かったのに。
しかし、季節は忙しく過ぎて行く。

私は、あの頃、故人のお写真や映像を皆で観ながら語る会というのをやりたかった。が、そんな暇も作れぬまま季節が過ぎて行った。

そんなある日、そう、つい先週のことだ。今の施設でビックリする光景を観た。

お盆だから施設で迎え火を行うのだ言って一階のホールに多くの利用者様や職員が集まっていた。
認知症がある方で意味が分からない方は、供えられた花々や提灯、お線香を観て葬式と勘違いして泣き出す人もいた。中には本当に親しかった仲間を偲んで涙を浮かべている人も居たけど。

壁には十数名の方々の名前が書道で描かれ貼り付けられていた。

が、しかし、やはり色んな意味で「は?」と思ったのだ。偲ぶのは良いけど、施設に迎え火を炊いて良いのか?施設で炊いてどうする?!迷っちゃうんじゃないの?

その独特の雰囲気をしてドン引きしていたら、隣に座っていた青年が『大丈夫だよ。』と語りかけて来る。

え?何が?

おそらくはご家族様なのだろう。20代か30代の彼は『もちろん自宅が一番だけど、長く過ごしたこの場所にもちょっと立ち寄りたいんだよ。自由だからこの後帰りたい家、会いたい人が居たらそこに行ける。例えその場所に迎え火が炊かれていなくてもね。』

そうなんですか?と私も彼と同じくらいのヒソヒソ声で返事をする。そんなもんなんですか?と。

しかし。
『うん、そうだよ。大丈夫だよ。皆が思っているよりもこちらは明るくて、何でも見えるんだよ。』

その言葉を聴いて私の鼓動は早くなった。どういうこと?コロナ渦ではないけど、まだご家族様は自由に出入り出来ないはず。
それに私、心の中で「何、この行事。いいの?」と疑問視していただけで声には出していない。
それなのに、何でこの人私の独白に返事して来るの?

恐る恐る真横を観ると、その青年の横顔は若い今と老人のような深い皺が刻まれた顔とで交互に点滅している。

え?

そして、すーーっと浮かびあがって斜め上に消えた。長い光の尾を引いて。

認知症だと言われているお婆ちゃんたち2~3人が光の筋のように空中を走って行くその存在のことを目で追っていた。一人は手をぶんぶん横に振り、一人は『もうちょっとゆっくりしていきなさいよ!』と言う。

周りの人は認知症の不穏の症状だと思っただろう。

しかし、おそらくはこの数人のお婆ちゃんと私は、確かに聞いた。段々細くなりつつもハッキリと耳の奥に届く陽気で楽しそうな声。

『帰るまでには また寄るよ。』

前方の壁に貼ってある名札の一つが浮いているように見えたので、きっとあの人だったのだろうと思った。

そうか。こちらが思うよりも明るいのか。何でも分かっているのか。

良かった。

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