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アニマとアニムス その2(GIジェーン)

いつぞやのウィル・スミス氏のニュースが報道されていた時に、色んな人が色んなことを言っていたのだが。

うちのKちゃんが首を傾げているので、どんなことを考えているのかな?と思ったら『GIジェーンって何?』と言う。そこか。

一回りも歳下だと知らなくても不思議じゃないのね。もう25年くらい前の映画だもんね。時が経つのが早すぎて恐ろしい。

当時、好きな映画だったので、どこかの動画サイトでやっていないかと探してみた。一緒に観ようと思って。

昔の映画というのは、『あるある。観たことある。』なんて言っていても、改めてもう一度観ると、全然覚えていないシーンがドンドン出て来るなんてことがある。本を何度も読み返すのとも似ている。

その時代に自分がどんなことに囚われていたか?どれだけ何に対して覚醒していたか?というので、覚えているところと覚えていないところがハッキリと分かれる。どんな意味か?と言うと、人は歳を取るごとに幼い頃からかかっている催眠から目覚めて行き、物事が明瞭に見えて来るからだ。(逃避し過ぎず、順当に乗り越えて来ていれば。)

それはさておき、GIジェーンは、どの動画サイトでも探せなかった。古すぎるからかな?でも、安く売っていたので注文したものが今日届いたので、めでたく一緒に観ることが叶った。

鮮明に覚えているシーンと言葉があった。

木の枝で凍えて 地に落ちていく鳥には 自分をみじめだと哀れむ気持ちなどない

この言葉をどうして覚えていたのか?というと、坂本龍馬の『死ぬ時は何かの途上で死にたい』とイメージが似ていたから。

映画全体を通して結構覚えていたなあと思う類の内容で、改めて感動した。感動の度合いは昔と一緒だった。

ただ、感想には、少し違う類ものが湧いて来た。

25年前は、女性が自立する、対等に観られるということの捉え方が、ある意味、男性のように力があってマッチョで張り合えることを意味していた面があったのだなあ。それが恰好良いのだと思う人も大勢いたのだろう。

男性が得意な分野で女性が出し抜くと、『お。』と注目される。それを得意に思う。この時点で充分女性だと思うけどね。女性じゃなければ、そんな反応されることもないし、『ふふん』と得意になることもないもんね。

逆に昔で言うボディコンシャスな服を来てセクシーさを強調していた人の心には、積極性や狩りに似た男性的な心理の方が強かったようにも思ったりして。

そして、この映画の中では、そして、おそらく今でも、軍の中での同性愛は完全に認められていない懲罰モノに値すること。つまりは非常に不名誉で恥ずかしいことなのだと。そこへの突っ込みは、この時代には一切入らなかったのだな。(一般の人の中には言っていた人がいたかも知れないけど。)

男性性と女性性についての定義は今も昔も多くの誤解が飛び交っている。

だから色んな人が色んなことを語って来たのだろうけど、ほんとのところ、一人の人間の中に両者が存在していて、それをイメージで分けている感も否めない。

と、ごちゃごちゃ色んなことを感じるのが私で、Kちゃんはどうだったのかな?と横を見てみると『感動した!明日坊主にして来る!』の一言だった。

止めて下さい。

絶対。

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