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芥川龍之介の「蜜柑」

この記事では芥川龍之介の「蜜柑」について語る。この記事が読者にとって、芥川龍之介を手にとる機会となれば幸いである。




芥川龍之介の文章について

初めて芥川を読んだのは中学一年の教科書に掲載されている「トロッコ」だった。主人公がトロッコをどんどん押して行き、街の果てまでうっかりと進んでしまった後、泣きながら家に帰る中編小説だったと記憶している。当時はまだ芥川の魅力に気づいていなかったため、国語教師が好きそうな説教臭い物語だなぁと感じていた。しかし、高校に進学して「羅生門」を授業で習うとその文章の緻密さに感心したのを覚えている。わたしは作家の書いた文章を翻訳を介さずに味わうことが好きなので、その作家の文章力にフォーカスするのならば海外文学よりも日本文学の方が楽しんで読むことができる。


その点、芥川の文章は一切の無駄がなく生き物のようにするすると頭に流れてくる。句読点の打ち方や、前後の文章の繋げ方など「文章の技巧が高い」と言うべきか。天才的な文章を書く作家といえば筆頭に三島由紀夫が挙げられるが、三島の文章は人工的であるし、やや華美過ぎる印象を受ける。それに対して、芥川の文章は無駄な装飾語が省かれており、何より前後の文章の因果関係が数学の証明のように洗練されている。三島の文章は超絶技巧のピアニストのように、天才性を感じるが故にその手の奥にある柔かさを感じる機会を見失ってしまうのだ。もちろん、三島の作品はどれも日本文学史上に残る傑作であるし、金閣寺はわたしの人生観を変えた一冊であることも付け加えておこう。


短編小説「蜜柑」について

芥川の作品が敬遠される理由として「教科書」のイメージや、その説教臭さが挙げられるだろう。しかし、その中でも「蜜柑」は堅いメッセージ性が少なく、芥川が体験した日常的な一場面を切り取った私小説となっている。内容は

芥川が二等客車にに乗っている。すると、汽車が動き出すと同時に十三、四の小娘が三等客車の切符を手にして芥川の乗っている二等客車にバタバタと乗り込んできた。芥川はその小娘を白々しい目つきで眺めていたが、もうすぐトンネルに差し掛かろうとするのに小娘は汽車のトンネルを開けようとする。トンネルに入ると共にばたりと落ちた窓と小娘のせいで勢いよく咳き込まなければならなかった。が、それは奉公先に赴こうとしている小娘を見送ろうとしている弟たちの労に報いるために蜜柑を投げるためであった。

と言うザックばらんとしたネタバレを含むあらすじである。この作品は「羅生門」や「鼻」のような説教臭さが一才なく、一連の流れが芥川の静謐な文章で鮮やかに描かれている。その中でも、わたしが特に好きな一説を以下にあげる。

その時その蕭索とした踏切りの柵の向うに、私は頬の赤い三人の男の子が、目白押しに並んで立っているのを見た。彼等は皆、この曇天に押しすくめられたかと思う程、揃そろって背が低かった。そうして又この町はずれの陰惨たる風物と同じような色の着物を着ていた。それが汽車の通るのを仰ぎ見ながら、一斉に手を挙げるが早いか、いたいけな喉を高く反そらせて、何とも意味の分らない喊声を一生懸命に迸ばしらせた。するとその瞬間である。窓から半身を乗り出していた例の娘が、あの霜焼けの手をつとのばして、勢よく左右に振ったと思ふと、忽ち心を躍らすばかり暖な日の色に染まつている蜜柑みかんがおよそ五つ六つ、汽車を見送った子供たちの上へばらばらと空から降って来た。

この一説は小娘が手を振って弟たちに蜜柑を投げ与える様子が描かれている。綺麗な描写と蜜柑を投げる躍動感が芥川の文章によって彩られている。この情景描写の視点の移り変わりの鮮やかさが、わたしがこの一説を好きな所以である。

まとめ

さて、芥川の作品とその文章について述べてきたが、この現代まで芥川の名声は語り継がれている。芥川は何らかの文学賞を獲っていないが、その作品自体が「賞」になってしまった。本当に価値ある文学作品とは、外側から与えられる評価に関係なくそれ自体において素晴らしいのだろう。芥川はその代表例である。芥川賞や教科書など「外側」から評価された芥川像ではなく、芥川の文章を読んでみて「内側」から芥川のみならず、さまざまな文学作品と向き合ってほしい。

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