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世の中の課題に挑むPLAYER。吃音のある若者が夢に挑戦できるカフェ|PLAYER's File #002

こんにちは!「一緒になってワクワクし、世の中の問題に立ち向かう」プロトタイピングチーム・PLAYERSです。
この連載では、世の中の問題に対して傍観せず、解決に向けて自ら取り組む「PLAYER」が集まった「PLAYERだらけの世界」を目指す私たちが、いま活躍中のPLAYERをご紹介していきます。
第2回のPLAYERは、自らも吃音(きつおん)を受け入れ、接客業に挑戦したい若者たちが働ける、「注文に時間がかかるカフェ」を立ち上げた奥村安莉沙さんです。

「注文に時間がかかるカフェ」を開いた奥村安莉沙さん(左端)と当事者の学生を含むスタッフ

奥村 安莉沙(おくむら ありさ)
スタッフ全員が吃音症の「注文に時間がかかるカフェ」の発起人。
奥村さん自身も吃音症をのりこえた経験をもち、吃音のある若者たちが本当にやりたいことを諦めずに生きられる社会を目指し、理解促進に取り組む。
さらに、「注文に時間がかかるカフェ」の実録映画を制作し、各地で上映を行っている。



吃音には主にどのような症状があるのか、教えていただけますか。

吃音は話すときに、言葉が滑らかに出てこない発話障害の一つです。吃音には主に三つの症状があります。
一つ目は、連発(れんぱつ)といって、一番吃音といったらイメージしやすいのですが、「こここここんにちわ」というように音がつながってしまうものです。
二つ目は伸発(しんぱつ)といって、「こーーー、こんにちわ」というように音が伸びてしまいます。
三つ目が難発(なんぱつ)といって、「・・・こんにちわ」というように、声が出てこない、詰まってしまう、という三つの症状があります。

人によって出やすい症状の違いなどはあるのでしょうか。

人によっては苦手な音があります。例えば私は「あ行」が苦手なのですが、名前が奥村安莉沙なので両方とも「あ行」で言いにくい。いらっしゃいませ、ありがとうございましたも「あ行」なので、そういう決まったフレーズが言いにくくて困ることもあります。
「こんにちは」を言えなかったら「どうも」みたいに、上手に言い換えて、相手に分からないようにしています。

言葉が出てこない時というのは、どのような感覚なのでしょうか。

私は小学5年生のときから、連発から難発に移行して、最初は考えて言いたい言葉が頭に浮かんでいても、それが実際口から出てこないという症状がありました。体感的には、喉が締め付けられるような感覚。例えるなら大縄跳びでみんながスイスイ飛び込んでいけるのに自分だけ大縄跳びの輪に入っていけないような、ちょっとタイミングがつかめない感覚に似てるのかなと思います。

吃音の方が一番話しやすいような、話の聞き方はありますか。

本当に人それぞれで、例えば私は詰まっても最後まで聞いてほしいタイプなのですが、詰まってるときに待っていられる時間が一番苦痛で、推測できたら代わりに言ってほしいという人もいます。吃音当事者同士でも全然やってほしいことが正反対なので、あなたはどうして欲しいの?と、まずは気持ちを聞いてあげてほしいと思います。

人それぞれ異なる吃音の症状があるので、まずは一人一人の気持ちに耳を傾けることが大切なんですね。


奥村さん自身が、吃音に気づかれたのはいつ頃だったのでしょうか。

自分の話し方が他の人と違うのかなって思ったのが小学3年生の頃でした。でも母子手帳によると、吃音の症状が出始めたのは2歳の頃だったそうです。当時は吃音は意識させなければ自然に治るものだと考えられていたので、あえて私に意識させないようにと、母が幼稚園の先生にお願いしていたようです。
でも家庭で吃音について話さないことで、話題にしてはいけない悪いものと本人が思ってしまうケースもあるため、今は吃音についてはどんどん家庭でオープンにしていった方が本人の自信に繋がると言われてます。

奥村さん自身が吃音を受け入れることができたきっかけは、どのようなものだったのでしょうか。

私は、ずっと吃音を受け入れられなくて、誰にも話せず、1人悶々と抱えてもう死んでしまいたいと思っていました。
でも、高校2年生のときに地元の図書館である1冊の本に出会ったんです。「いのちの初夜」という北条民雄さんというハンセン病を患っている青年が書いた本でした。あの当時、ハンセン病はすごく差別されていて隔離されていたと思うんですが、北条さんをモデルにした主人公が、生きる希望もなく落ち込んでたときに、同じ病室の同じ病気の人に、「認めたくなくても、ハンセン病は一生治らないと自分に言って、あえてハンセン病患者になりきってみなさい。そうしたら、また新しい道が開けるかもしれないよ。」というような一節があったんです。
それを読んで私も吃音者にまずはなりきってみようと思ったんです。それから私は自己紹介のときに、「吃音があるので言葉がスムーズに出ないときがあります。」と言うようにしたんです。そうすると意外とみんな、「そうなんだ、何かもし困ったことがあったら言ってね。」みたいに言ってくれるようになって、そこから友達ができ始めたし、行動的になれたような気がします。

PLAYERSにて実施した「注文に時間がかかるカフェ」上映会後のトークショー

奥村さんはその後、オーストラリアで治療を受けられたとお聞きしました。海外と日本では治療法や環境の違いはありましたか。

はい、私はオーストラリアのメルボルンにいたのですが、むこうでは、フラッと入ったカフェで吃音が出ても、「あなた吃音なのね。何か私にできることある?あなたはどうして欲しいの?」みたいな感じで、割とフランクに吃音について聞いてくれたり、私の気持ちを汲んでくれて、認知や理解が進んでいることに驚きました。

認知や理解が進んでいるのは、教育方法の違いでしょうか?それともマインドの違いでしょうか。

私の夫はオーストラリア人なのですが、普通に幼稚園にも小学校にも吃音の子がいて、みんなあまり隠すことなく過ごしていたと言っていました。オープンであることが違いなのかもしれません。日本はまだ、吃音者も隠しますし、周りの人も話題に上げませんから。

確かに隠してしまうと、周囲が受け入れるきっかけも生まれにくいのでしょうね。


オーストラリアでの経験が「注文に時間がかかるカフェ」をはじめる大きなきっかけになったのでしょうか。

実は私、10歳の頃からカフェの店員さんに憧れていたんです。近所のスターバックスの店員さんがすごくキラキラしていて、いつか私もなりたいって。
実家の勉強机の引き出しから10歳の頃に書いた手紙が出てきたんですが、「将来の安莉沙へ、20歳の頃の安莉沙はカフェの店員さんの夢をかなえてますか」と書いてありました、それくらいなりたかったんです。でも、10代20代の頃は吃音が重くて、自分の名前が言えないなら接客は無理だと諦めていたんです。

26歳のときに、オーストラリアで人生で初めて接客に挑戦しました。あるカフェのオーナーが、病気や障害のある人に社会体験を提供していたんです。そこで、私以上に話せない方が身振りや手振りで笑顔で接客をしていました。私は接客ではスラスラ話さなくてはならないという固定概念に縛られていたのですが、その人の接客スタイルを見てこういうのもありなんだ、じゃあ私もできるかもと思って。そのときの体験が「注文に時間がかかるカフェ」のきっかけになりました。

「注文に時間がかかるカフェ」の構想から実際に活動をはじめるまでは、どれくらいの期間がかかりましたか?

広告代理店で働きながら年に1、2回、以前住んでいたシェアハウスの一角を借りてカフェをやれたらいいなと思って、立ち上げまで4年間ほど温めていました。
そして最初に「注文に時間がかかるカフェ」を開くときに、ツイッターで一緒にやれる人いませんかと声をかけたんです。その時コロナも流行ってたので、関東圏内に絞って募集したのですが、当時高校生だった心杏(このん)ちゃんが、第1号として仙台から新幹線に乗って、来てくれたんです。

三重県伊勢市での「注文に時間がかかるカフェ」の様子。このほかにも、全国各地で開催している。

高校生で仙台から東京まで来るなんて、すごい行動力ですね。
カフェの立ち上げのときに一番苦労したことは何でしたか。

いろいろありましたが、例えば店頭で吃音について説明をする際に、人によって症状やとってほしい対応も違うことをどう表現したらいいかとみんなで色々と考えました。結果マスクに「自分はこうして欲しいです」という希望を書くようにしました。

「注文に時間がかかるカフェ」はNPOなどの団体ではなく、SNSで人が集まり、コミュニティができていったとのことですが、このイベントが終わった後もコミュニティは続いているのでしょうか。

はい、ここでは吃音当事者に会うのが初めてという子も多く、スタッフというよりも友達同士ですね。だから「注文に時間がかかるカフェ」が終わったから解散というわけではなく、みんなことあるごとに会ってお茶したりしてますよ。この前は遊園地に行っていました。各地でカフェをやっているので、メンバーたちがお互いのところに行き来しあう仲になっています。


実録映画である「注文に時間がかかるカフェ―僕たちの挑戦ー」の、製作上のご苦労を教えてください。

出演者のご家族の理解を得るのが大変でした。子どもが吃音だと知られ、近所に広まることを心配するご家族もいらっしゃったので、無理強いはしたくなかったんです。でも本人が「やりたい」と、「自分が大変だったから、吃音を知ってもらって変えていきたい」と、家族に言ってくれました。
撮影で印象深いのは、映画のスチール撮影です。この日は朝から晴天で暑かったのですが、撮影する瞬間急に土砂降りになったんです。お昼ご飯をみんなで食べながら、今日はもう無理かなあなんて話していて、ふと外を見たらぱあっと空が明るくなり始めて、一瞬の明るい空で撮った写真がこれです。

「注文に時間がかかるカフェ」

映画に出演していた方たちは、積極的で前向きな印象がありますが、コミュニケーションが難しい方もいたのでしょうか。

皆さんまだ思春期真っ只中ですから、不安を感じたときに1人で落ち着くことのできる、クールダウンルームを準備していました。また、どうして欲しいのかを口頭では言いづらいので、困りごとや不安なことのアンケートを文章で取るという工夫をしていました。
このアンケートは、オーストラリアのときに私が働いていたカフェのアイディアを踏襲しました。

素敵なアイディアですね。吃音者だけでなく、会社や組織でも直接は話しづらいこともあります。どこでも活用できる仕組みだなと思いました。

映画では吃音当事者の方の心境が、働くことを通じて変わっていくのを感じました。観客側には何を感じとって、どんな行動変容を起こして欲しいですか。

吃音を沢山の方に知ってもらえたら満足です。知ってもらうことが、吃音者が夢に挑戦するハードルがぐっと下げると思います。まずは吃音の症状がそれぞれに異なることを知って、一人一人と関わるときに、どうしてほしいのかを聞いてもらえると嬉しいです。


この活動や映画を通して、今吃音で悩んでいる若者に対してはどんなことを伝えたいですか。

物事を見る角度を少し変えてみることです。私がオーストラリアで、身振り手振りをして接客をしてもいいんだ、スラスラ話せなくてもいいんだと思ったように、ちょっと角度を変えて見ると、自分には絶対できないと思ってたことも、意外とできるようになる。諦めないで、何かできる方法を考えてもらえたらと思います。

一番大切なのが、周囲の理解や、本人のマインドセットなんだということがお話を聞いていて分かりました。

アクションを続けていくための、奥村さんの原動力は何でしょうか。

やはり、小さい頃からの夢だったから続けていけているんだと思います。楽しくないと続かないから、楽しいことをやっているだけです。高い志があるわけでないですが、自分と同じ経験をさせたくない。自分が生きていた時代よりも生きやすくなってほしいと思っています。


カフェの今後の活動や、カフェ以外の活動の展望などをお聞きかせ頂けますでしょうか。

「注文に時間がかかるカフェ」は年末までぎっしり予定が詰まっていて、全国各地で開催します。もしよければ皆さんも、お越しいただければ嬉しいです。

今後の活動ですが、日々、いろんな方から相談をいただいて感じることは、吃音のある中学生の支援が足りていないことです。小学校の6年間は言葉の教室や吃音の子たちへの支援があるのですが、中学生になるとなくなるところが多い。
高校生になるとSNSを使って繋がれるようになりますが、中学生だとまだスマホを持たない子も多数います。「注文に時間がかかるカフェ」の子たちも、一番つらかったのは中学時代だと言っていました。

全国各地に当事者の小さい交流会があるんですが、自分から積極的に情報を集めないとたどり着けないので、交流会の情報を一か所に集約していけたらと考えています。
学校や教育現場とのつながりも段々とできてきたので、そこで情報発信していきたいですね。

「注文に時間がかかるカフェ」WEBサイト

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以上、奥村安莉沙さんのインタビューをお届けしました。
もし、「PLAYERだらけの世界」を目指す私たちの活動に共感した方がいらっしゃればこちらのフォームから気軽にご連絡もいただけると嬉しく思います。それでは、次回のPLAYER’s Fileでお会いしましょう!
また、PLAYERSではこのような紹介記事ならびに、最新の活動内容や進行中のプロジェクトを中心に、ぜひ注目して欲しい世の中のニュースやトレンドなど、皆さまが「PLAYER」としてワクワクしながら生きていくために役立つ情報をお届けるメールマガジン『PLAYERS Journal』を定期配信しています。よろしければ以下より購読のご登録をお願いします!


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