PLAY_LIFE謦ョ蠖ア___MG_7492

1ヶ月520時間働いて自殺未遂から「遊び」で起業 資金3800円&社員ゼロからはじめて僕は遊びで日本を創生する

はじめましての方もすでに知っている方も、こんにちは。
PLAYLIFE(プレイライフ)の佐藤太一です。
遊びを仕事にしている「遊び起業家」です。
なんともふざけた肩書ですが
遊びで起業している人はこの日本でも
マジで10人もいないんじゃないんでしょうか?

ホリエモンとか誰が言ったかは忘れましたが、
これからは「遊び」の時代が来るといわれている中で、
その最前線で遊びを革命する起業家を目指しています。
「人生は遊びでできている」のだから
最高に遊んで素敵な思い出と仲間に囲まれて死ねるような
遊び倒せるサービスを作り続けたいと頑張っています。

この度はじめてnoteでブログを書くことにしました。
なぜいまさらブログを書くのか?
それは僕の考えていることをオープンにしたほうが
みんなとコミュニケーションがとりやすくなる。
そして新しい出会いのきっかけになれたらいいなと。

でも文章を書くのがむちゃくちゃ苦手なので
3日坊主になったらすいません。。
いまのうちに謝っておきます。。

僕は現在どんな仕事をしているか?
それはPLAYLIFEというデート、おでかけ、旅行のプランを
実体験のプランとして投稿できるメディアを運営しています。
いわゆる「遊びのクックパッド」です。
https://play-life.jp/

約5年くらいメディアを運営していて
いまでは日本全国のプランナーに支えられ、
やっとこさ月間300万人が利用するメディアになりました。
収益モデルは広告とアフィリエイトがメインです。
最近は地方創生のコンサルやコーディネートも増えてきました。
人の顔が見える×遊びの体験ベースで
広告に見えない広告と検索に強いという強みで、
レジャー、鉄道、商業施設、観光局、メーカーさん数十社と
たくさんの記事広告で遊ばせてもらっています。

例えばこんな感じです。
コニカミノルタプラネタリウム
https://play-life.jp/plans/17532
三井アウトレット
https://play-life.jp/plans/15713

サーモス
https://play-life.jp/plans/15437

静岡県沼津市
https://play-life.jp/plans/19575

起業して最初の3年間は僕がコンサルでお金を稼いで自己資本で
約5000万円くらいつぎ込んできましたが、
その後、合計1.9億円の資金調達を行いました。
素晴らしい株主にも支えられています。
http://thebridge.jp/2017/07/playlife-fundraising-1-3m
https://news.infoseek.co.jp/article/dreamnews_0000121645/

SMS創業者の諸藤さん、元エニグモ/グルーポンCFOの松田さん
元クックパッドCFOの成松さん、キープレーヤーズの高野さん、
サイジニアCEOの吉井さん、フランチャイズ経営の鬼 箕輪さん、
ショーケースティービーCFOの佐々木さん
という素晴らしいエンジェル投資家陣に加えて、
環境エネルギー投資、みずほ銀行、セゾン、池田泉州銀行、福岡銀行の
皆様が遊びで地方創生に向けて全力で応援してくれています。

こんな感じでむちゃくちゃ順調そうで自慢かよって聞こえてきますが、
起業したきっかけは過労よる自殺未遂です。

約7年前の2011年6月、僕はアクセンチュアで働いていました。
今でこそ働き方改革ってやつでホワイトな会社になりましたが、
当時僕の1ヶ月の労働時間が520時間を超えました。
たまたまデスマーチ×苦手な分野×上司がDQNという
三重苦にあたってしまいました。。。
1日睡眠時間1~2時間でひたすら資料作りまくりです。
外資コンサル経験者ならよくある話だと思います。

そして、これはまずいと思い病院に行こうとした帰り道、
もう終わってもいいや早く楽になりたいと思い
意識朦朧で電車に飛び込みました。
あんまりはっきりは覚えていませんが
ふわっと飛んだ感覚は覚えています。

そのとき、今までの人生の走馬燈が見えました。
・廃材を集めて秘密基地をつくった時
・いかだを作って川を渡ろうとしたら瞬殺でいかだが崩壊した時
・サバゲーとかくれんぼをmixさせたゲームで駆け回った時
・20人くらいでロケット花火戦争した時
・大学のときにバンドで客とメンバーがひとつになった時
・DJとVJで800人集客でファッションショーを成功させたとき

そして僕は気づいた。
「あれ、俺の走馬燈 遊びの思い出ばっかじゃん!」
「俺のこんなちっぽけな29年間でこんなに楽しい思い出があるなら、
全世界の70億人の遊びの思い出を知りたい!やりたい!遊びたい!」
「だったらまだ死ねない!死んじゃだめだ!」
時間にして数秒の中でこんなことをとっさに考えた。
「まだ死ねない」そう思った瞬間、少しだけ頭を電車からそらした。
そして僕はホームに倒れた。
かろうじて電車に吹っ飛ばされずに生きていた。
看護師さんが言ってたんだけど
あと5センチで頭が吹っ飛んでいたらしい。

気づいたときには病院にいた。
3日間くらい寝ていたらしい。
全身の自律神経がいかれて後遺症も残るといわれた。
でも僕はそれどころじゃなかった。
遊びの思い出を共有できるサービスを作りたくて、
看護師さんに紙とペンをもらってひらすらに
事業計画書を書きまくっていた。

そして事業計画書ができると
アメリカに似たようなサービスがあるかもしれないと思い
居ても立っても居られず、
適当な理由をつけて無理やり退院して
家にパスポートを取りに帰って
そのまま空港でアメリカに旅立った。

向かった先はfacebook本社とgoogle本社。
エントランスの前で200人くらいにヒアリングした。
僕:「デートやおでかけや旅行の実際に体験した遊びのプランを
実名で投稿できるサービスを考えたんですがどう思いますか?」
facebook社員:「なんだそりゃ誰向けのサービス?」
google社員:「ブログと何がどう違うの?」
google社員:「マネタイズは?」
facebookに打合せに来た人:「急いでるからまた今度ね!」
googleの警備員「日本からアポなしで来たんだ?クレイジーだね。」
facebookに打合せに来たTitterの偉い人「おもしろいじゃん!頑張ってね!」

そんなこんなでヒアリングしまくった結果、
アメリカにも似たようなサービスは無く
やりようによってもおもしろいサービスになると実感した。

特にTwitterの部長みたいな人から冗談半分かもしれませんが
もしやるならお金出すよと言ってくれた。
でも「僕が死にかけた時にできた最後の夢なので、
まずは自分ひとりで頑張ってみます」と言って、
さあサービスを作ろうと帰国した。

日本に帰ってきてビビった!
なんと貯金が3,800円しかなかったのだ。
一応まだアクセンチュアに在籍してはいたが
給料全部遊びまくって使っていたのだ。。
とりあえずまずは捨てるところからはじめようと
クレジットカードにハサミを入れ、
当時の遊び友達と彼女に別れを告げた。
起業に集中しようとひたすらに動いた。

会社に行きながらお金と仲間集めをしながらサービスを作り、
サイバーとかDeNAが同じようなことをやらないかという不安。
すべてを遊びのサービス作りに捧げた日々でした。
心の底から楽しんだ瞬間などなく、
友達と遊んでいてもどこか心にぽっかり穴が開いた感じ。
毎日怯えながら前を向いて無我夢中で頑張りました。

自己資本での苦労話はまた後日。
そこからボランティア&副業で20名くらいのメンバーに支えられ、
ミクさん、中村さん、江原さん、松本さん、松坂さんはじめ
約200名の素晴らしいプランナーと
エンジェルとVCに応援してもらいながら、
今では月間300万人が利用するメディアになることができました。

夜中に思い立って相談に乗ってもらったりえさん、
毎週末集まってバリバリ仕事してもらった、
のぐってぃー、ピータン、あらいーた、ヤス、たっちゃん
インターンのゆっきー、太郎、大ちゃん、さやか、ゆうと
撮影とか不慣れなことを手伝ってくれたかずき、こやっちゃん
インフラだけとかいって2回のリニューアルに巻き込んだ上田さん
むちゃなお願いにもいつも対応してくれた川村さん
その後、グロースフェースでメディアを大きくしたライトくん
立ち上げの時に手伝ってくれたすべての人にこの場で感謝します!

こんな感じで自殺未遂から遊びのサービスを立ち上げるに至りました。
苦労話や失敗談は追々このブログで語ります。

そして今は
営業・マーケ・プロダクトPMまでをこなす相方で役員の倫太郎さん
たったひとりで300万人が使うサービスを開発するてっぺいくん
グロース&コンテンツ&デザインまでオールラウンダー変集長のライトくん
企画&ディレクター&SNS担当のたぬき
プランナーコミュニティー管理&バックオフィスのゆきりん
編集・企画のほのかちゃんとまひるん
6人の社員と20人の副業・インターンと毎日わいわいやっています。


まだまだPLAYLIFEのサービス自体は使いにくいし
検索に少し強いだけで価値のあるサービスとはいえません。
ユーザーはたくさんいるけどほとんど検索から来ているので
全然知名度はない。
だからまだスタート地点に立って走り始めた段階です。

これからは、遊びのメディアをさらに進化させて、
遊びで友達ができる
遊びで地域とつながれる、
その人に合った遊びをコーディネートできる、
大人になっても子供の頃のように自由に遊べる世界にしていきたいです。

遊びの死のうと思ってから起業して7年という時間は
僕にとってかけがえのない青春です。
そしてこれからも大人の青春を
もっと泥臭く、冷静に、情熱的に彩って
世界で最高に楽しい葬式にするのが僕の夢です。

僕と一緒に遊びで人と地域をつないで、
子供の頃のように毎日ワクワクする遊びで
このくそったれ日本を変えてやりたい仲間は常に募集しています。
僕の戯言ブログで少しでも共感してくれたら
メッセージくれたら嬉しいです。

これから少しずつ
遊び起業家としての
僕のくそったれな毎日をみなさんに伝えていきます。

佐藤太一
https://www.facebook.com/playlife.taichi.sato

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?