見出し画像

♯1_すべての行為が実に滑らかに運び躓く所も立ち止まる所もない――『ナチュラル・ウーマン』(松浦理英子)のパーフェクトラブ

※作品の「ネタバレ」が含まれる可能性があります、ご注意ください。また、個人的な作品の一解釈になりますことご了承下さい。

博士:夫人、まず一つ目のパーフェクトラブ(以下、PL)を持ってきました。松浦理英子氏の小説「ナチュラル・ウーマン」です。
 二人の女子大学生、容子と花世が同人誌漫画のサークルで出会い、強烈に惹かれあい、そしてすれ違い、別れを迎えるお話です。

夫人:二人の女子大学生?

博士:はい。この小説は、レズビアン、今どきの言葉ですと、百合ものということになります。

夫人:今回、初回でしたわよね・・・初回からいきなり、それでよろしいの・・・?

博士:初回だからこそです! 男女では見えにくいものが、女性同士だからこそ見えてくると思うのです。社会では、男女の行為が主流であるとされていますよね。その中にあって、女性同士が惹かれあい、行為に及ぶことによって、その必然性が浮き彫りになってくると。
 It's automatic。余談ですが、宇多田ヒカル氏のデビュー曲にも通じますね。

夫人:宇多田ヒカルさんのことはよく分かりませんが、PL収集の初めのお品として、理由があって「ナチュラル・ウーマン」をお選びになったということは分かりました。女性同士のものなんて想像もしておりませんでしたので、ワクワクしますわね。

博士:読んでみると様々な思いが湧き上がってきて、簡単には言い尽くせない作品であることは重々心得ているのですが、今回は、PLという切り口で夫人と考えたいと思います。
 早速ですが、このPLの核心はこの表現だと考えます。
「ただ、すべての行為が実に滑らかに運び躓くところも立ち止まるところもない」
 語り手である容子が、花世との身体の触れ合いについての想いを巡らせる箇所になります。

夫人:どうして?

博士:「すべての行為が実に滑らかに運び躓く所も立ち止まる所もない」性行為を夫人はご経験されたことはありますか?

夫人:まあ、性行為って、なんとなく決まった流れみたいなものがあるじゃない? キスして、前戯があって、最終的には・・・っていう。そりゃ細かい違いは、お相手や、慣れなどによって異なりますけれども、そういうことかしら?

博士:全然違います! むしろ全く逆です。そういう、一般的になんとなく決められているステレオタイプな性行為を、花世は「ままごと」と呼んでいます。

夫人:「ままごと」とは全く逆のことねえ・・・「膝から腿にかけて花世の手の感触が残っていた」「時には髪の毛や睫毛まで使って、私の体を撫で上げ撫で下ろした」「乳房と乳房が柔らかく合わさって、痺れるような快い感覚が全身に拡がった」とか、そういうところかしら? あんまり一般的な性行為の流れではない行為よね。それに、あら?容子さんは、「男であれば当然分け入って来るであろう箇所」に指を入れられるの、拒否してるじゃない。じゃあ、この二人には最終的な行為がない、ってことになるわね。それは、普通の性行為とはまるで違うわ。

博士:そうなんです。先ほども言いましたが、一般的なマニュアルのない女性同士だからこそ、行為への必然性が浮き彫りになっています。
 もちろんステレオタイプな行為を否定するものではありません。ただ、そこに必然性が存在するのかということです。

夫人:なるほどね。けど、「すべての行為が実に滑らかに運び躓く所も立ち止まる所もない」ことに、容子は「かえって違和感を覚え」ているし、さらに続けて、「ままごとではない性行為があるとしたら快さの中にもっと険しさや不安定さが含まれているのではないか」と考えてるわよ。どういうことかしら。

博士:ええ、容子は、険しさや不安定さを求める嗜好がありますね。しかし、花世もそう思っているのかは疑問です。

夫人:この時点では、まだ二人は、最終的な行為は行っていないのよね。けど、この後、容子の「池の裏手の深い沼」に花世が快感を与えて、その「違和感」は払拭されているわ。

博士:男女の場合は、欲求の発生から最終的な行為までがセットで語られがちですが、この作品においては、欲望の発生だけでなく、最終的な行為の段階においても、再度必然性を確認しているのではないでしょうか。

夫人:マニュアルを知らない女性同士の二人であるのに、ことが運ぶというのは大きいわよね。ところで、小説を通じて、語り手である容子の快感は描写されているけれど、花世のそれは何なのかしら。してあげているばっかりな気がするけれど。

博士:容子の快感の後の「完璧な歓びを私と共にした満足感」(私=容子)でしょうか。花世は、容子の幸せそうな様子を見て、自分の幸せを感じているのかと。

夫人:へえ、そんなことで満足する方がいらっしゃるの。受信機みたいな方なのね。

博士:・・・。

夫人:湧き出る欲求に素直になり、その欲求を形にする、つまり「触れ合うことに躓くことがなく滑らか」な性行為を行うだけでも、普通は難しい。でも、容子と花世は易々とクリアしてしまった。しかも、花世は、それだけで最高の状態であるのに、容子から発信される違和感を感じとって最終的な行為に及び、前述のように二人でさらなる歓びを共有し、完全体=PLになったということかしら。

博士:そうですね。夫人のおっしゃる完全体がこのPLの登頂地点かもしれません。花世は目の前の容子のことをよく見ているんです。容子から発信される信号を受信するのも自然と出来てしまう。むしろ、そうせざるを得ないと言ったほうがいいかもしれません。花世は、容子に本当に惹かれているのですから。
 ここまできて、二人の凹凸の関係が見えてきたかと思います。それは愛し方の違いにも表れています。

夫人:凹凸によって惹かれあい、PL登頂に成功し、しかし、凹凸ゆえにすれ違い、別れてしまう。PLは儚いものであるとも思い知らされるわ。
ちなみにね、容子が花世のことを好きな理由というか、どのように思っているのかは、わたくし、よく分かるの。でも、花世が容子のことを好きな理由はよく分からないわ。

博士:容子はジェンダーに囚われていない自由な人、花世の欲しいものを持っている。花世が黒人の奴隷解放をテーマにした漫画を描いているということにも、彼女の内なる戦いを感じます。ですから、花世は容子に対して、好きと同時に嫉妬もあるでしょうね。
 一方、容子は囚われていないだけあって、動物的な五感があり、直感的に花世のことが好きですよね。
 相互に代替不可能な存在で、必然性を持って惹かれあった二人というのがよくわかります。

夫人:花世は容子に焦がれているのに対して、容子は花世を他者として認識し、そのイデアを愛している。容子は花世のいうこと、することを全て受け入れる。だから、容子は花世に「本当のセックスって、どういうもの?」って聞いたりするのよね。

博士:それですね・・・恋人にそんなことを聞かれるというのは、ものすごくプレッシャーですよね。そんな質問をする容子は無粋です、ウザいです。
 そんな容子は、やはり花世の苦悩をわかっていないんです。花世は容子を好きになって、嫉妬もするし余裕もない、いろいろあって誘発されて容子に対して暴力的に接してしまうこともコントロールできないんです。花世はそんな風に変わっていく自分、なくなっていく自分に恐怖を感じている。それに気付かない、容子は酷いですよ!! 花世に、「自分の気持ちに夢中になっているだけでしょう、私じゃなくて」と啖呵を切られても仕方ない。

夫人:ご、ごめんなさい。って、わたくしがなんで謝ってるのかしら。博士がそんなに花世に感情移入するからよ。博士は、花世のように人を好きになるタイプなのね。

博士:私は、容子の気持もわかります。なぜなら、夫人のことを容子の視点で見ていた過去もありましたから・・・。

夫人:え!? ・・・。なんにせよ、この話は、どちらにより感情移入できるか別れて面白いかもしれないわね。

博士:PLによって、また違った愛し方がありそうですね。
 そうだ、次回は、谷崎潤一郎氏の「春琴抄」のPLについて一緒にお話ししませんか。今回のPLは、最終的に儚いものでしたが、これは強度のあるPLだと思います。

夫人:よくてよ。

参考文献:『ナチュラル・ウーマン』松浦理恵子著(河出書房)

★PLではないかと思われる作品、体験談等ありましたら、随時情報を探しておりますので、twitterのダイレクトメッセージ(@PLCollecters)にお送り頂けますと幸いです。 どうぞお願いいたします。

この記事が参加している募集

推薦図書

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?