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喫茶店原風景/まえがき

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「喫茶店原風景」

帰省した。

鈍行列車に乗った。このところ少し節約をしたいと考えていたのと、待ち合わせの時間には余裕があったのでそんなに急いでとんでいく必要もないか、と、苦手な早起きをして、たらたらと地元に向かった。

となりに座った人が着ていたもこもこの上着の、白い毛がたくさんつく。着ていたのが喪服だったので、特に目立つ。こういう、小さいことがとても気になってしまう。

地元は、日本一の山が、いつどこからでも見える。勝手に視界に入ってくる。見ているのはこっちの勝手で、あちらはただ当たり前のようにずっと前からそこにいるだけだ。勝手なのはどちらか?

校歌には必ず出てくる山。
改めて目の当たりにすると、そのどっしりと構え、余裕を携えた雄大な姿に、多少なりとも心を動かされる。
いろんな表情がある。
ずっと前から、麓で暮らす人たちは、様々な時代に、さまざまな思いを馳せ、目の前の生活を紡いできたんだろう。

世界遺産に登録されてから、外国の方の訪問が一気に増えた。
コロナで一旦はその訪問も途切れたが、今回の帰省では公共交通機関の予約が取れないほど、戻っていた。
ひと昔前は予約なんてしたことなかったのに。

感慨に耽っている間もなく、目的地と待ち合わせの時間が迫る。
何度も行ったことのある喫茶店に、10数年ぶりくらいに、ひとりで入る。

ー小さい頃、よく喫茶店に連れて行ってもらった。
足がつかない椅子、少し高い机には、ガラスの板の下にメニューの写真がびっしり。
さらにメニュー表を開くとわくわくする名前の商品たち。
目移りする。今日はあれが食べてみたい、そう思っても、結局だいたいいつものやつ。なんとなく言えない。これにする、と決めてから、やっぱりあっちがよかったかな…と少し後悔する。

入学式の後や、ピアノの発表会の後、お稽古の合間、早く目が覚めてしまった朝、遅い夕飯…
両親は共働きだった為、よく外食をした。どんな時間もやっている喫茶店は、どんな腹具合も、心も満たしてくれた。
幼稚園の頃、祖父母宅によく預けられていた。両親の迎えの時間を待ち侘びて出窓にのぼって外を眺め、爪を噛む私を見兼ね、祖父はよく「Kちゃん。喫茶店でも行くか。」と声をかけてくれた。頼むのは、だいたいいつものやつ。キャスケット帽の端からのぞく切れ長の目の、目尻のあたりの皺が動く。
祖母は、入学式のあとに、晴れ着のまま、喫茶店に連れて行ってくれた。いつも以上に緊張して、膝元のタイツを手で掴んだり離したりしていた。

外の世界からは隔てられた空間、さらにひとテーブルごとに、違った空気があった。
レースのカーテンが引かれた窓。生けられた花。ほこりを被った人形、テーブルランプ。
時計の針。新聞。読んだことのない雑誌。灰皿。

手持ち無沙汰におしぼりの袋をいじっていると、
コトンと目の前に置かれるスパゲッティ。フォークをくるくるしてもどうもうまく巻けないので、結局ちゅるちゅると吸った。

家では出てこない色のソーダ水、泡がちょうど目の前に来るので、大人の会話は聞こえないふりをしてしゅわしゅわを眺めていた。

食べ終わってしまったパフェのグラスの底を、構造上どうしても届かないのに、何度もスプーンでなぞったりしていた。

そんなことを思い出しながら(うまく思い出せたのかどうかは自信がないが)、ひとりで時間を過ごした後店を出ると、日差しとは裏腹に冷たい風が吹いていて、肩をすくめて少し震えた。
空が高くて、しっかり青かった。
葉を落とした柿の木の、橙色の熟した実が、気怠そうに垂れ下がっていた。地べたに落ちるのを待っているのか、鳥に食べられるのを待っているのか。そうじゃないのか。

実家の最寄りの駅の喫茶店を改めて調べたら、人口とは比にならないくらいの数の喫茶店があった。
入ったことがある店だけでなく、初めて名前を知る店もあった。
古くからやっていて、今も営業を続ける、貴重な存在。

この街の人の、あるいは外から来た人の、どちらでもない人の、いろいろなことを受け止めてきた存在。

なんだか、今こうやって喫茶店をやっていることと、どうしても別には考えられない気がして、
少し特別で複雑な思いで、避けられない帰省に合わせて、「幼少の頃によく行った喫茶店」に立ち寄った。

祖父の一周忌。
ちょうど1年ほど前、久しぶりに会った祖母は呆けてしまっていて、でも私の顔を見てくしゃっと泣いた。大きくなったねぇ、と、とっくに大人になった私に言った。
祖父亡きあと、祖母とはもう会えない。大人の事情があるらしい。ソーダ水の泡でも眺めていようか。

いろいろなことが重なって、絡まって、数年単位で帰省していなかった。

高校を卒業して実家を出て東京で暮らし、息の吸い方を知った。
初めて暮らしたのは東京の真ん中、ありがたいことにどこにでも喫茶店があった。古本と喫茶店の街だった。
ちょうど良い喫茶店での、座席、窓からの風景、壁の汚点(しみ)、マスター、珈琲、食事、おやつ、煙草、本、音楽、映画、絵画…
朝も昼も夜も、そこへ行くと助かった。

自然と飲食店でアルバイトするようになり、そこでも、朝も昼も夜も、本当に助かった。
毎日ちゃんと看板を出し、ちゃんとしまう。コップを拭く、皿を温めておく…。
いつもモーニングAセットのスーツのおじさんが、サラダのBセットのオーダー。健康診断にひっかかったか?
タクシーの運ちゃん、今日は連れが1人多いから、灰皿はもうそろそろいっぱいになるか?
あの教授、また新人を引き連れて来たな。いつもは頼まない、いつもより高いメニューのオーダーね。
あの若い方、誰を待っているんだろう。さっきも化粧室でメイク直ししていたな。



「まえがき」

言葉は、
稚拙で、雑で、単一で、暴力的で、
でも老功で、シンプルで、多様で、優しくて、包容力があって、
危険性と脆弱性を常にはらんでいる

とどめてしまうことにはどうしても抵抗感が拭えないけど、
言語化することで本当になることも嘘になることもある

そんな言葉のことをぜんぶ信じてみようと思い、ガス抜きのように、綴ろうと思いました。

じょうずに、丁寧に扱うことで、
まあ下手でもいいか、雑には扱わないように


鍋の中の豆腐を箸で掴むように。

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世界で一番、喫茶店の力を信じています。

喫茶店のおばあちゃんになって、花に水でもやって、葉っぱが落ちるように眠りにつきたい。

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