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アマゾンプライムお薦めビデオ③ 140:塚本晋也監督作品かと思って観てみたら清水祟監督作品だった。でもそれでも良かった!『稀人(まれびと)』

ビデオ版の『呪怨』『呪怨2』を見た時の衝撃は今でも忘れられない。いわゆる「Jホラー」という言葉が世に出てきた時であったが、「Jホラー」とは一言で言えば、「ショック」ではなく、むしろ「不穏さ」を描くジャンルのホラーである。ある意味では「ショック」のほうが、映像化は簡単である。そうではなく「不穏さ」をいかに映像化するか、それが「Jホラー」と呼ばれた作品群が挑戦したことであった。そしてその第一人者が当時はまだまだ若手の清水祟監督であった。

この作品はその『呪怨』の映画版2作を大成功させた清水祟監督が、恐らく憧れていたというか目標としていたというかレスペクトしていた塚本晋也監督を主演に迎えて作ったものである。『呪怨』シリーズの続編を期待していた人にとっては、そうではなかったこともあり、それほどヒットはしなかったようではあるが、改めて観てみると、これはこれでなかなかいい作品である。これだからアマゾンプライムビデオは侮れない。

この作品では「ビデオカメラ」というものが前述の「不穏さ」を引き出す見事な小道具となっている。スマホで映像が取れる今の時代では、磁気テープに記録する形のビデオというものはもはや古いメディアであるが、この「磁気テープ」というものと、モニターを見て撮るのではなく、ファインダーを覗いて撮るという行為がなかなかの曲者である。Jホラーのもう一人の旗手である中田秀夫監督の『リング』が呪いのビデオをその中心に置いていたように、磁気テープに代表されるようなビデオは、「モノ」であると同時に、それ自体がその「モノ」自体ではない。「モノ自体」はそこに記録されている磁気データである。しかし、今の時代のデータは文字通りデータそのものがWifiも含む回線を通してやり取りされるものであるのとは異なり、ビデオテープのデータはダビングコピーという形でしかやり取りできなかった。そしてダビングが繰り返される度にそれは劣化していく。これはまさに肉体と魂の関係に例えられるであろう。大切なのは肉体ではなく魂の方である。しかし、その魂は肉体から離れると、それが肉体にあった時のものとは多少なりとも変わってしまう、と。そしてその魂こそが「Jホラー」でいうところの人ではない何か、この世のものではない何か、つまりは本作のタイトルでもある「稀人」なのである(なお、「稀人」とは民俗学者折口信夫氏が使っていた用語とのことである)。

この映画で言うと、そのこの世のものではない何かは、当初は主人公が記録したビデオの中に映像として存在した。それが今度はビデオカメラのファインダーを覗くことによって見えるようになった(「覗く」ということは即ち他の人には見えない、自分だけが見えるということである)。そしてそれは最終的にはビデオカメラを覗かなくてもそこに存在するものとなった。まさに「魂」とでもいうべき何かが移動(=ダビングコピー)されたのである。そしてそれは同時に、その「魂」あるいは「この世のものではない何か」が主人公に侵食してきたことをも示している。その意味では主人公の方がおかしくなった、主人公の方が何らかの理由でおかしくなった、とみることもできるが(実際そのようなつくりになっているが)、しかし、そこを敢えてあいまいにしているのも、Jホラーならではの「不穏さ」の演出である。加えて言えば、フィルム作品としての映画の中で(最近は最初からデジタル撮影している者の方が多いだろうが、この頃は恐らくまだフィルムを使用していたはず)敢えて画質の劣るビデオ映像を多用しているのもその「不穏さ」を煽る演出である。そしてそれらの演出は見事な脚本(「ああ、あの人はあの人であの人をああしたのね」、ということが余計な説明抜きで後から分かるようになっている)とも絡まって見事に成功している。

ということでJホラーファンにも、そうではない人にもお薦めの1本である。




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