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アマゾンプライムお薦めビデオ③ 128 :究極の二次創作!押井守版うる星やつら『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』

漫画原作ドラマの原作改変を巡っては、非常に残念な事件が起きてしまい、心を痛めている人は多い。創作物の権利は守られなければいけない。しかし、世の中には二次創作というジャンルもあり、多くの同人作家が元となる作品をレスペクトしたうえで、自分なりの作品を新たに創作しているのもまた事実である。もちろんその中にはオリジナルの作者の許諾を得ていないものも(というかそのほうが)多いであろう。創作者の権利を守り、また創作者の成長を支援するために、今後は商業物であっても、二次制作が行われることを見越して、クリエイティブ・コモンズが明記される時代になるかもしれない。

そんな中(というか一次制作や二次制作という概念がまだ確立していなかった中)、原作者の許可を得た上で、やりたい放題に、しかしもちろん原作には愛とレスペクトを込めた上で後にパトレイパーや攻殻機動隊で名を挙げるアニメーター、押井守氏が作り出したのが、「うる星やつら」の劇場版第2弾となる『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』である。この作品、オリジナルの作者の高橋由美子氏は正直あまり気に入ってはいないようだが、「うる星やつら」(以下「うる星」ファンには愛されている作品である。そう、当時の「うる星」ファンは、もちろん高橋氏の漫画も好きだが、押井氏も深くかかわっていたTVアニメシリーズもそれと同様に好きだったのである。

連載マンガをアニメにする場合、どうしてもそれだけでは尺がたりないという問題がある。アクションマンガであればアクションシーンを長くすることで持たせることは可能だが、ギャクマンガではそうはいかない。事実「うる星」も最初のうちは30分の枠で2話を放送していた。しかし、人気が出るにつれ、それでは原作にすぐに追いついてしまう。そこで抜擢されたのがギャグのセンスもあり、アクションのセンスもあり、またメカにも詳しい押井氏であった。例えば弁天がバイク(というかスペースバイク?)に乗って現れるシーンなどはマンガでは数コマで終わるが、そこに派手な動きを付けることで長く引っ張ると同時にかっこよく見せた。龍之介の父などもマンガでは一コマでギャグといかオチを言うことで終わることが多いが、そこにもまた見事な動きを付けた。そう、押井氏はまさにマンガを読んでいる者が頭の中で自分なりに補っている部分を映像で、動きで表現したのである。もちろん、まんがでは名前もない当たるの同級生に過ぎない眼鏡、パーマ、角刈り、チビなどに役を与えたり(とくに千葉茂氏演じる「めがね」はアニメオリジナルの名物キャラクターと言っても過言ではない)と、原作にない要素を足すこともあったが、それらはすべて原作の世界観の枠内においてである。1話完結のギャグマンガである「うる星」は、基本的には連続したストーリーで見せるというタイプのものというものではなく(単行本の最後の1巻は別だが)、その登場人物の強烈なキャラで成り立っているタイプの漫画である。だからこそできたのであろうが、たとえ漫画版とは多少逸れていても、ファンはアニメ版もマンガ版と同じ「うる星」として受け入れたのである。

そしてその押井氏が監督(脚本も含む)として任された劇場版第1作のヒットを受けて作ったのがこの劇場版第2作となる『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』である。第1作目では遠慮していた感もある押井節がここでは大炸裂している。確かに、これはもうオリジナルの高橋氏が設定した枠をもうはみ出ていると言っていいであろう。高橋氏が後に述べたとされているようにこれは、あくまで押井氏による押井版の「うる星」である。つまり今流にいえば押井氏による「うる星」の二次制作版である。しかし、同時にこれにより押井守というクリエーター像が確立し、世に出たのもまた事実である。もちろんテレビアニメの世界では、もう押井氏は既に確たる地位を得ていたが、テレビはあくまでチームで制作するものである。それに比べ映画は「監督」が占める位置は大きい。

そしてここで思い起こされるのがかの宮崎駿氏もやはり映画版の「ルパン三世」である『カリオストロの城』を機に世に出たという事実である(押井氏同様、もちろん、テレビアニメの世界では既に確たる地位を築いていたが)。そしてそのどちらにも共通しているのが、オリジナルへの愛とレスペクトを十分に持ったうえで、自分なりの味付けをそこに出しているという点である。今となってこそ、我々はこの作品は押井氏の作品、この作品は宮崎氏の作品、という見方をしてしまうが、当時の観客はそうではなかった。あくまで「うる星」を見に行ったのであり、あくまで「ルパン」を見に行ったのである。そしてそこで「うる星」らしさ、「ルパン」らしさを確認すると同時に、新しい発見もした。そしてその新しい発見こそが押井氏の、そして宮崎氏の才能であり、彼らなりのオリジナリティの発見だったのである。繰り返すが、彼らがやったのはいわゆる二次制作である。しかし彼らはその元である一次制作作品に対し、愛とレスペクトを持っていた。作家に対してはレスペクト(敬意)を、キャラクターたちに対しては愛を持っていたのである。だからこそ、オリジナルの持つ要素をしっかりと自分の中に取り入れた上で、そこから自分なりのオリジナリティーというものをも提示することができた。そして彼らはその後、「うる星」や「ルパン」を離れ、自分自身のオリジナルの作品を次々と発表していくこととなるのである。これ以上理想的な二次創作作者の形があるだろうか。また、これ以上、理想的な一次作品と二次作品の関係性があるであろうか。一次作品は二次作品の制作者に刺激を与えその才能をさらに引き出しているのである。そしてそれができうるのは二次制作者が一次作品と一時制作者に愛とレスペクトを持っているからである。



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