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SF名作を読もう!(22)「人間とは何か」を考えざるを得ないフィリップ・K・ディックの力作!『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』

さて、今回紹介するSF名作はこちら!一応映画『ブレードランナー』の「原作」ということになっている、フィリップ・K・ディックの名作『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』です。

「一応「原作」」という言い方をしたのは、映画はあくまでこの小説の設定の一部を借りているだけで、中身は別物だからです。そして映画ももちろんいいですが、こちらの小説もまたいい。ここで述べられているテーマを一言でいうと、「人間とは何か」です(そのテーマ自体は映画も受け継いでいますが)。そしてその答えも一言で言ってしまえば「人間性を持つものは人間である」ということです。では「人間性」とは何か?まずはそれをこの小説は読者に問います。

「人間性」とは決して「善」だけではありません。そこには「悪」もあります。つまり「人間性」とは善悪の問題ではないのです。強いて言えばその両者の間での「ゆれ」、あるいは「葛藤」こそが人間性なのです。そしてそれは自分自身への問い、自分という存在への問いにも向かっていきます。

この作品では人間とアンドロイド、本物の動物と電気動物(本物そっくりだが機械で作られた動物)が象徴的にそのテーマと問いを示しています。表面的には人間とアンドロイド、本物の動物と電気動物とがそれぞれ比較対象とされますが、実はそうではありません。少なくともこの作品の上では、人間とアンドロイドの間にはもはや何の違いもないのです。両者ともに「ゆれ」があり「葛藤」がある存在として描かれます。つまり両者とも「人間性」を持っているのです。そしてその意味で、「人間性」を持っているという意味でもはやアンドロイドは「人間」なのです。

一方の本物の動物と電気動物も同様です。両者の間には実は大きな違いはありません。ペットとロボットペット、あるいは二次元ペットは何が違うのか、という問い方をすれば、我々にもピンとくるでしょうか。それに人が愛着を感じれば、その両者には何の違いもないのです。ロボットペットでも、あるいはおもちゃでも、あるいは2次元キャラクターでも、人はそれを愛せます。そしてそれが壊れたり、なくなったり、あるいは消えたりすれば人はそれに対して大きな喪失感を感じます(ある世代以上の人であれば「たまごっち」を思い浮かべるでしょう)。そしてそれも人間が人間である条件としての「人間性」の一つなのです。

となると、ここで改めて問題、というか疑問となってくるのは、アンドロイドには善悪や自分自身の存在についての「ゆれ」や「葛藤」があるという点では「人間性」があると言えるが、動物やロボットやさらには2次元も含む人間的な存在に対する愛着、愛情というものがあるのだろうか、そうでなければやはりまだ「人間」とは呼べないのでは、という疑問でしょう。そしてその疑問こそがまさにこの小説のタイトルなのです。

「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」しかし、その答えが「否」であったとしても、それは「人間性」のある一部の欠落に過ぎないとみることもできます。事実、そのような「人間」は少なからずいるわけで(というか人は皆何らかの欠落はあるわけです)、そのような人を排除してしまうのは差別以外の何物でもありません。先に善悪や自分自身の存在についての「ゆれ」や「葛藤」があることが「人間性」だと述べましたが、ここに来てそれは覆されます。「人間性」を人間であることの条件としてしまうのは、実は危険なことなのだと。

とそんなことを図らずも考えさせられてしまう小説が本作です。しかもそれがSF小説として、しかもハードボイルド要素も含まれたエンターテイメント小説として書かれているのだから凄い!以前紹介した同じフィリップ・K・ディックによる名作『ユービック』とはまた一味違う名作、というか力作です。とにかくお薦めの一冊です。是非、ご一読ください。


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