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リフレッシュ休暇のススメ #4

――日常からの離脱による、思考変化のプロセス

私の休暇中の行動と思考の変化のプロセスは、こうなっていた。

日常から突然離脱 → 他人からの日常の自分に対するフィードバックによる少しの気づき → 旅で日常から完全離脱 → 日常の自分の客観視 → 深い自己分析 → 「絶対やらなきゃいけないこと」のない自分の発見(大学生の自分に戻るイメージ) → うっすらこれからの人生の方向性の発見

必死に頭をひねったりしなくても、1ヶ月間でこれらが自然と自分に訪れたから、私はリフレッシュ休暇をおすすめしたい。特に、普段「絶対やらなきゃいけないこと」をたくさん持ってしまっている人は。

日常の環境に身を置きながら自力でこれだけの発見をするのは、私には難しかったと思う。だから、大事なことを思い出し、新たに見つけるいいチャンスに恵まれたと思う。

具体的に、何を見つけていったのかを書き出してみる。


――だんだん、フラットになる

旅をしている最中、私は旅をすることに夢中になってしまって(何でも夢中になるらしい笑)、「これからの人生こうしたい!」だとか、先のことは結局最終日まで考えられなかった。考えて、もしも何も思いつかなかったらどうしよう。そんな不安も頭の片隅に存在した。

でも、日常から物理的な距離を置いてから数日、だんだんとそれにも馴染めてきている自分を確認するとともに、まず日頃の自分を客観視するようになった。そうすると、フラットになりつつある現在の自分と、少しだけ昔に感じられる日常の自分を比較できるようになって、深い分析ができるようになってくる。自己認知力みたいなものがぐっと高まる。


例えば、「こんなに遠いところに住んでる人がたくさんいて、みんなそれぞれの世界を生きてるのに、家と会社というとんでもなく小さな空間が、自分の100%になっていたのかもしれない」「こんなにも違う宗教とか習慣の中で暮らしている人もいるのに、私は自分が既に知ってる人や生活が100%だと思っていたのかもしれない」と、NYで何かに触れるたびに感じたりした。

そんな風にここ数年で一番フラットに近い状態で「あれ?そういえば…」というごく小さな気づきを毎日毎日重ねていった結果、大きく2つのことを発見することになる。



――1.「嫌われたくない」に固執して器用になり、本音が見えない自分

知らない場所で、他人と距離を置いて、ひとりぼっちになって思った。「来た連絡はすぐに返さなくちゃいけない」「相手を不快にしないように、失敗しないように、自分が先読みをして動かなくちゃいけない」「隙を見せたくないし、嫌われたくないから、自分を100%出しちゃいけない」「傲慢だと思われたくないから、いつも他人を優先しなくちゃいけない」「全員とうまくやらないといけないし、その為に自分が一番に尽くさなきゃいけない」。普段の私は無意識のうちに「他人に嫌われない為のコミュニケーション」が人との付き合いのスタンダードになっていて、"しなきゃいけないこと"で誰よりも自分を厳しくしつけをしていたんだと思う。

そんな自己犠牲的な自分がちょっと好きなのかも?それで自分が成り立っているのかも?とさえ、思ってしまう…。

さらにそこに塗り重ねる形で、私は"「嫌われたくない」と思っていることを悟られないようにする為の振る舞い"がそこそこ上手である(と思っている)。比較的過酷な社会人生活を生き抜く過程で、たくさんの忍耐を覚えて、"ビジネス人格"を作って、社会性と理性が備わって、時には演技もできるようになって、そういう強く生きる為の小技を器用に使いこなし過ぎている猫になっていたのかもしれない。ある意味で、コミュニケーション能力が高すぎたのかもしれない。実際「あなたみたいにコミュニケーションが上手で周りと信頼関係を築ける人になりたい」はここ数年職場で最もよく言われる褒め言葉で、私の一番の価値はこれであって、人間関係がうまくいってるのが嬉しい!楽しい!と日々思っていた。でも、もしかしたら知らないうちに何かを犠牲にしていたのかもしれない。(これは正直今も分からない。みんなと仲良くできて楽しかったから。)「そんな風に見えなかったけど?」と言ってくれる人は、猫の部分に気がつかなかったか、私が心から甘えている人か、のどちらかだと思う。

極めつけは、それが他人に向き合う時のスタンダードになっていて、もう無意識になっている。社会的な側面では器用なのかもしれないけれど、パーソナルな側面では心理的負担の3重苦になっている。その弊害?で、いざ本音に向き合おうとしても、自分の本音がどこにあるのかが自分でも分からず、何に疲れているのか、何に無理をしているのかもよく分からない、だってポジティブなはずだもん…!自分が相当面倒くさくて強がりな奴であることに人生で初めて気づいてしまった。

その複雑な部分が自分の最大の弱さでもあった。正直、知りたくもなかった。知らなくても、たぶん生きていけるし。(それまでは、たまに夜中にお菓子を食べちゃうことが自分の弱さだと思っていた。笑) でも、知ってしまった今、そういう私の性質が今回の体調不良の根本原因であると、私の中ではそういう結論になっている。原因が分かれば、これからは対策できる。良かった良かった。笑

自分でもよく気が付いたと思う。社会の中で生きていれば、誰しもそういう面はあると思う。でも、良い人ほど、気がつかないんだと思う。


そういえば、休む前にある先輩がこんなことを言ってくれた。「あなたは何でもポジティブに捉えすぎて無理をしすぎる性格だから、好きなことじゃなくて、自分が嫌いなことをリストアップしなさい」その時は半分ぐらいしかピンときていなかったけれど、本当にその通りだった。


「嫌われたくない」を最優先にした行動をナチュラルに積み重ね、そこに気づかない無理やストレスがあって、疲れがたまってしまった。自分の本当の気持ちを無視して。誰かがそうさせたのではなく、自分がそれが美徳なのだということが行動の前提になっていたかもしれない。それこそが強い人だと思い込んでいたのかもしれない。そんなスーパーマンみたいな人はいないのに。私だって本当は嫌だったのに、本当は助けてほしかったのに。そう思っていたかもしれないのに、自分がそれに向き合ってあげなかった。

ただ、今回周りの人がたくさん支えてくれたのは、この行き過ぎた努力?の賜物であることも事実。だからこそ、難しい。


これが大きな気づきの1つ。悟りってやつかな?笑


つづく


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