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リフレッシュ休暇のススメ┃#12 安全地帯と多角的な自己分析について

この『リフレッシュ休暇のススメ』を書き始めてから、気がつけば5ヶ月が経っていた。

昨年11月のリフレッシュ休暇でNYとハワイを訪れて自分を整え、12月に仕事をリスタートさせ、年が明けてからポジションが変わった。

前とは違って自分のコンディションに毎日耳を傾けて、アクセルとブレーキをハンドリングし、走るスピードをコントロールしながら、仕事の終わりを決め、飛ばしすぎず緩すぎない心地よい勢いで邁進した。(結果的にそこそこ忙しくしていた。)もちろん、コロナウィルスの影響で、働く場所も含めて働き方は日々変化しながら。

そんな感じで2019年の一連の経験を糧としながら、有難いことに新しい経験で上書きしながら過ごせているので、リフレッシュ休暇の話はこの記事でおしまいにしようと思う。


―――今だからこそ、見直したいこと

リモートワーク元年とも呼ばれそうな今年。強烈な外部要因によって働き方が劇的に変化している中、何もかもが今後どうなっていくかは分からないけれど、私の中でひとつ確かに発見したことがある。それは私自身先月からフルリモートに切り替えてみて感じたことだが、人の仕事への熱量や姿勢は場所が変わったからといってそう簡単に変わらないことである。(在宅になったからといってサボっている人は知る限りいない。) 

むしろ前よりも短期的には効率性を上げて、集中して働いているんじゃないか?とさえ思う。朝おはようと声をかけたり、会議室と会議室の間を移動したり、今日のランチどこ行こうかと連絡してみたり、嫌なことがあったら同僚に声をかけてふらっとお茶に出かけてお喋りして発散したり、夜飲みに誘って深い相談事をしたり、ついこの間まで毎日あった時間が急にゼロになった。そういった、ともすれば非効率で不要不急の部類として取り扱われそうでいて、実は人間が会社で働いていく上で必要不可欠なコミュニケーションや小さなきっかけ。長期的には立派な効率性に繋がっているそれらが生まれ辛い今だからこそ、気が付いたら自分が疲労困憊になってしまっていた、なんてことがないように、リフレッシュすることを改めて見直していきたいと思う。

目先に躍起になって24時間がむしゃらにやることと、アクセルの踏み所を確実に抑え、自分を整えながら冷静に戦うことの違いを自己認識して、持続的にパフォーマンスを上げられるやり方を実践していけたら理想だな、と去年の失敗を経た私は今だからこそ改めて思っている。

何より、あなたも含めた世界中の人が毎日のように人生で初めての環境変化とネガティブ情報にさらされていて、無意識に心と身体が負担をかけてそれを受け入れたり判断したりと対処し、適応しているのだという前提を忘れてはいけない。先は長くなりそうなので、私も意識的にこのnoteを見返して、定期的に自分を客観視していかなくては。と、久しぶりにここを開いて、自分に言い聞かせたところ。


―――安全地帯について

それもあって、最後に1つだけ記しておきたいことを。

お休みする2ヶ月半ほど前から、私のことを絶妙な距離感で見守り続けてくれた人がいる。リフレッシュ休暇のススメの最後に、その人のことを書いておきたいと思う。


去年の8月。母とのパリ旅行という楽しみに向けて、私は猛烈に仕事を追い込んでいた。念願のパリなのに、それまでの毎日に必死で、やっぱり行きの飛行機までろくな下調べもできず飛び乗る羽目に。それでも、6日間フルで時間があったので心を開放してゆっくり街を楽しめた。6日間のお休みでチャージが完了した。

パリから戻ってすぐまた激務になった私は、やっぱり、例の如く熱を出してしまった。「今年何回目だろう…しかもインターバルが短くなってないか?」という不安と、「あーまたか。年末まで持つかな、これ。笑」という楽観的な気持ち(今考えると完全に油断です)が50:50の日々。家族から心配されたのをきっかけに、この頃に「この状況に逃げずに行動しなきゃ」という危機感が少し芽生えていた。

そのファーストアクションとして、思い切ってお医者さんに相談してみた。「とにかく休めるしかないねぇ」という結論で、もちろん正論なんだけど、そう簡単には休めないから悩んでいるのですが…とついつい思ってしまっていた。ただ、「相談できるところにうまく頼りながら働こう。いつでも来ていいから。」というアドバイスは腑に落ちたところがあって、その日初めていつもより広く自分の相談先を考えてみた。


そうだ、会社の中にそういう所なかったっけな?

思いついたのが産業医だった。でも、産業医っていう響きがなんとも仰々しくて正直かなり抵抗感があった。私、そんなに重症じゃない。とはいえ、何か行動しなきゃ。試しに社内で問い合わせてみると、私の会社の場合は産業医に相談すると自分の上司や人事の方にも伝わるとのこと(これは企業によると思いますが)。普段人事とも仕事をする機会も多かった私は、仕事相手にそれが知られることは御免だと思ったし、上司に知られるのなら自分から上司に話したいし、それで仕事が減らされるのもな…と感じていた当時の私に、その選択肢はフィットしていなかった。

私はただ、なんとなく体調が慢性的に悪くて、ここでちょっとどうにかしたいのだという想いを、自分の所属する会社や仕事の内情が分かって、それでいて専門的な知識もある、できれば同性の人に打ち明けて、アドバイスをもらいながら、寄り添って欲しかった。

それなら、と紹介してくれたのが社内の「保健師」だった。保健師さんなら、希望がなければ上長への報告義務もなくご相談ができるということだったので、保健師さんと面談してもらうことにトライしてみた。



―――一般企業に勤める、保健師さん

保健師という仕事がこの世に存在することを、私はそれまで知らなかった。会社のポータルサイトでちょっと調べただけでは見当たらなかったし、周りで保健師さんと遭遇したことがあるという人は聞いた事がなかった。(まあ、言わないか。)

お会いしてみると、私と同世代ぐらいの女性の方で、元々看護師でいらっしゃったところから、企業の中で社員のヘルスケアをミッションとしたポジションを見つけられて、正社員として勤務されているという。そんなお仕事があることを全く知らなかった私は興味津々だった。そこから私たちは月1ぐらいの頻度で会ってお話した。


私にとっては保健師さんとお喋りしている時間は、他にない安全地帯感があった。(他の人との話が危険地帯だという訳では全くないんだけど。笑) 

メンタルヘルスの専門知識があって、会社のことも理解されている。社内なのに利害関係が一切ない。ボランティアではなく、オフィシャルな形で私に向き合って下さっている(ボランティアだと思うと、申し訳なくて気を遣ってしまう。しかも、無料!笑)。さらに、私の場合は運良く同世代の同性だった。この存在はかなり希少だった。

診断やお薬を処方はないけれど、定期的に会って話すことで人柄や個性を理解してもらえた状態で、自分の行動の意思決定に示唆を与えてくれた。

例えば、自分自身や周りの人にはないような視点で私の行動を客観的に分析してくれた。数年ぶりに職場で泣いてしまって恥ずかしかったことを話した時、「上司に対して何も取り繕わない本音をさらけ出せたことは、普段本音と発言することのギャップが大きいあなたにとってそれはすごく良いことで、むしろあなたは前進したんですよ」、と評価してくれた。

また、自分が考えたことに対して、「それは、こういうことなんでしょうね」と別の言葉で説明してもらえたりした。私は自分の問題解決の為の行動や考えに自信が持てた。自分は今ちょっとした困難にぶち当たっているけれど、誰かに定点観測してもらいフィードバックしてもらえていることで、きっとこれでちゃんと対処していけているんだ、前に進んでいるんだと信じることができた。

回を重ねてくると、前より元気そう、今思い返せば前はすごくテンションが高かった、と前後比較をしてもらえる。もちろん、お休みをする時は不慣れな私にお休みの取り方もアドバイスをくれた。


―――大事なのは、多角的な自己分析

いくら自己認知が高い人でも、『自分のことは自分が一番分かっていない』と言われることもあるぐらい、特に大きな問題に直面していて異常な状態の時は、誰でも視野が狭く盲目になっていると思う。だからこそ、この絶妙なポジションから絶妙な頻度で並走しながらコンサルティングしてもらえる安全地帯的存在は、振り返ってみれば私にとって唯一無二だったと思う。ああ、本当にあの時対処しようと行動して良かった。

おかげさまですっかり平常を取り戻した私は彼女と広い意味での同僚として新しい関係になっている。これもご縁。


夢中になっているとついついおざなりにしてしまうが、「あれ?自分のコンディションが変かも?」と頭によぎった時に立ち止まってアクションができたら、結果的に長く上機嫌で働けると思う。その時の選択肢の1つとして、上司でも同僚でもなくお医者さんでもない、「社内の第三者に頼ること」を加えてみる。そうやって、多角的に自己分析ができる環境をまずは自ら作ってみることをススメにしたいと思います。



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