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リフレッシュ休暇のススメ┃#9 自己開示について

――休む直前のコミュニケーションの大切さ

やっぱり休み明けにしっかり返ってきた。休みに入る前に職場での自分のキーパーソン達にお休み前に自分の口で状況を話しておいたことは、戻ってきてからの私にいくつかの良い影響をもたらした。(全員は難しかったけれど)

まず、自分が再び会社生活を送るにあたって居心地が悪くなるような噂は、少なくとも私の耳に入ってこなかった。(ただ、私は基本的に鈍感ではある)仮に、会社が嫌だったみたい、とか、誰かにいじめられて病んじゃったのかしら、と言われているような雰囲気を感じ取ってしまったとしたら、それはもうかなりやり辛かったと思う。

そんな非常識な人はいないでしょ…とは思いつつも、例え良識のある人であったとしても、私の口から誰にも何も伝えずにお休みしていたら、意図しない憶測があったかもしれない。今思うと相当張りつめたオーラを放ちながら働いていたと思うので、見方によってはネガティブな印象を持たれていてもおかしくない。

だから、恥と遠慮を捨てて、自分がこの人には理解していて欲しいと思う人には、5分でもきちんと向き合って自分の口からそれ以上でも以下でもない正しい情報を打ち明けた、という最後の少しの努力が1ヶ月後にちゃんと効いていたこと、むしろ打ち明けたことで信頼感さえ生まれていたことには、結果的に心の底から救われた。


――「戻ってきた」

ちょっと細かい話になってしまうけど、たった20営業日有給取っただけでも「戻ってきた」というワードが頻繁に使われていたことには、個人的には若干の違和感とポジティブな意外性があったことも、正直に綴っておきたい。

前述と矛盾してしまうけれど、"リフレッシュ休暇"であったとしても1ヶ月も会社に来ないとそのまま会社を辞めてしまうのではないか?やっぱり仕事が辛くて嫌になったんじゃないか?という懸念があり、でも「ちゃんと戻ってきた」「戻ってきてくれた」という見解が私の知らないところで薄く存在していて、それが私には伝わらないように…という配慮の中で、ニュアンスだけが残って表れたものだと捉えている。つまり、みんなの優しさだった。

それが分かっていても少しだけ感じた違和感とは、有給という権利を行使しただけなのに、もう少しカジュアルにお休みが取れる環境だったらいいのに、リフレッシュ休暇が特別じゃなければいいのに、という私の中の想いから来ている。

一方で意外性というのは、数千人・数万人の社員が働く企業で自分一人がいなくなったところで何も変わらないと言い聞かせていた中でも、ちょっとぐらいは自分も誰かに必要とされて、自分が帰りたいと思える好きな人達に歓迎されているような、温かい感覚。不思議な感じだった。



――自己開示するということ

そうやって迎えてくれた人達は、改めてランチに誘って下さったり、私から誘ったりした。お休みの間どこで何を見て、何を考え、どう変わり、未来はどうしていくつもりなのか、たくさん話を聞いてもらえた。

これまでの業務の話題を超えて、人生全体をテーマにしたような話を職場の人とも前よりずっと出来るようになって、お休みのおかげで人間関係が変わった。前よりずっと豊かになった。

自分が心を開くと相手が開いてくれるし、開かないと開いてくれない。そして、普段は声に出して表現しないけれど、実はみんなそんな繋がりを求めている。プライベートと仕事で全く別人になることなんてないのだから、みんな本来的には他人と気持ちを共有できることに安心感を感じるものなんだ。

そんな実体験おかげで、私は自己開示への抵抗感が薄くなった。


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