日本人における事実隠ぺいの体質

(かわせみ亭コラム#25)
 世界中のどの国、どの組織、どの人びとにおいても、競争原理上他に知られたくない秘密を持っているものである。秘密とされる事柄には政治的、経済的、科学技術的なものなど種々のものがある。そのような秘密事項においては本来隠すべきではないものも多く含まれている。隠すべきでないものを隠すことを”隠蔽”と言う。
 今も昔も日本人は恥の文化の中で生きている。日本人においては「恥」は、世間の「恥さらし」にならないためには徹底的に隠さなければならないものの一つである。人びとは誰しも多少の「恥」に当る問題を抱えているものである。「恥をさらす」ことは自分が所属する共同体で生存できないことを意味するため日本人においてはめったに自分から自分の「恥」を関係者に話すことはない。そのため日常生活において発生するいろいろなもめごとに関しては徹底的に隠蔽することが日本人の習慣として身についている。そのような生活習慣の態度の延長線上にあるのが企業共同体における不始末の隠蔽行動である。近年における日本の企業共同体とくに大企業における数々の反社会的な事実の隠蔽は日本における組織共同体の劣化ないしは崩壊の前兆を感じさせるものがある。

 法律違反の行為は「罪」であり道徳違反の行為は「恥」である。日本の共同体はこの「罪」と「恥」の二つの規範によってその秩序を維持してきた。一部の不良を「罪」で規制し、大多数の善良な人々を「恥」によって規制してきた。大多数の人びとの秩序を保持するという点において日本人における「恥による規制」は「罪による規制」よりはるかに大きな役割を果たしてきたものと言える。「恥による規制」は明文化されていない不文律であり、「罪による規制」は明文化された律法によっている。近年まで他の外国諸国に比べて日本の犯罪率が極端に低い理由は、その「恥による規制」が大きな役割を果たしてきたものと思われる。単に”正直”な日本人ということではないであろう。
 近年における企業による非社会的なあるいは反社会的な隠蔽事件の多発は、日本における「恥の規制」が緩んだ結果であるとしか思えない。とくに日本の各組織をリードしている組織長たちにおける「恥の規制」の劣化、すなわち「恥知らず」な行為や「恥さらし」の行為が露見しなければ問題ないという意識のもとに広く行われているという現実に直面する。
 このように極端な隠蔽体質を持っている日本における更なる秘密保護法は日本人における不正や不始末の徹底的な隠蔽を加速し、「由らしむべし知らしむべからず」の一億総盲目の過ちを再び犯す危険性が大きいと言わざるを得ない。われわれ日本人および日本の組織はその「恥の文化」ゆえに公表すべき不始末を隠蔽してしまう体質であることを強く認識しておく必要がある。

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