魚の自然誌

 魚類について、一つ一つ丁寧に進化の軌跡から魚の持つ様々な特徴、中にはあっと驚く特徴や私たち陸上生物となんら変わりない性質までが綺麗に纏められている。魚類をこよなく愛する私にとってまるで楽園のような本だった。
 まずプロローグにしてその文章の美しさに感銘を受けた。色々な魚のことをよく知っているからこそ表現出来るそれぞれの性質と、また目の前に広がるような情景描写が、すごい。すごい…。ここを読んでこの本を買おうと決意したといっても過言ではない。小難しい専門用語を並べたてるでもなく、かといって易しい物語を展開するでもなく、ああこの人は本当に魚が好きなんだと手に取るように分かるような愛に溢れた文に心を打たれた。全てを書き残すにはあまりに情報量のある本であったので、いくつか私の気に入った項について記録する。
 中でも最も興味をそそられたのは、魚類の進化について述べている部分だ。ここでは、肺呼吸をする魚であるハイギョと生きた化石として有名なシーラカンスが登場する。ミッシングリンク(進化過程で中間種となるような種)についての導入の後、肺を持つが浮袋を持たないハイギョに触れ、浮袋が先か肺が先かといった議論や、同じような時期に分岐したと考えられているシーラカンスと比較してどちらの方が四足類に近しいかという研究について書かれている。進化の議題に挙がっているような生物が、実際に現代に生きているというのはとてもワクワクした。生きたシーラカンスを見ることこそ叶わないものの、剥製や調査映像は見ることが出来る。ハイギョにおいては、水族館の入館料さえ払えば実際に生きて動いている姿を生で見ることだってできるのだ。あまりに感動的すぎないか。今のところはハイギョのほうが四足類に近しい種であるという研究結果が出ているらしい。進化についての研究はそのときどきによって結論が入れ替わるものであるのでこれと断言はできないが、また水族館でハイギョを見る機会があれば「こいつらの進化のおかげで私たちは地上で肺呼吸をしているのだなあ」と思うことができるだろう。
 余談であるが、神奈川県川崎市にある川崎水族館には生きたハイギョが展示されている。運が良ければ水面近くで肺呼吸している様子が見られるらしい。私は見られなかったのでTwitterで見た…生で見たかった。対して生きたシーラカンスを展示している水族館は今のところ存在しない。剥製ならば福島県いわき市にあるアクアマリンふくしまなどで見ることが出来る。ちなみに初めてシーラカンスを見たときの私の感想は「デカ」だった。深海の生物ってなんであんなに大きいのだろうか。タカアシガニだってそんなに大きくある必要ってあるのかな?と思うほどのデカさだ。きっとそれぞれ理由があるのだろう。それについては沼津の深海水族館に行ったときにでも調べようと思う。
 またこれは最後のほうの記述になるが、魚の痛みに関する話も面白かった。長い間人間は魚類に対して痛覚が無いとする認識が一般的であったが、最近の研究で魚類にも痛覚が備わっているということが分かり、且つその痛みを避けるような行動さえするということも分かっているという話だ。人間である私たちは無意識にも人間中心的に考えがちであるが、そのままでは様々な生物について正しく理解できない。"知恵がある"といったような観点では駄目なのである。ここでは細かな対照実験を用いて、魚も物理的な痛みやストレスに苦しむという研究結果を示している。このことから魚にも福祉を、といった題で海外の魚に対する権利保証を紹介しているが、私にはあまり賛成できない話だった。そもそも家畜と同様食料とされている魚に対して人間のような権利保証をしたい、と考えるのはあまりにも人間至上主義的な考え方であると思う。権利を与えるといった認識は自分のほうが立場が上であるという前提の元生まれるわけで、それは単なる人間の自己満足ではないかと感じるからである。魚は権利を主張している訳では無いし、世界は弱肉強食であるし、あくまでも魚の多様性や資源を失いたくないという利己的な価値観から判断すべきでは、と、言っても仕方の無いことだけれど。本の感想にくだらない自己主張を付け加えてしまうのは愚かな行為だった。
 閑話休題。この本には本筋とは別に、もっと私の心惹かれるものがある。コラムとして各地の魚に関する伝承が載っているのだ。日本の伝承としてオオナマズの話も紹介されている。このような伝承は、今聞けばどうしてこんな話を本気で昔の人々は信じていたのかと疑問に思うほど突飛であるが、自分達には解明できないような現象を空想上の生物に任せる想像力に圧倒される。夢がある、という言い方は少々ロマンチックながら、全てを詳らかにするばかりが面白さではないなとも思ってしまう。
 水族館に通うようになったから魚類学が面白いのか、魚類学が面白いから水族館に通うようになったのか今となっては分からない。しかしこのような本を読むことによって、魚への解像度が上がっているのは事実だ。目の前の水槽がただの写真映えの良い景色ではなく、様々な魚の蠢く生きた世界そのものであると思うようになってから水族館の滞在時間が飛躍的に延びた。魚って見ても楽しいし食べても美味しいなんて最高だなあ。

魚の自然誌を読んで、終。

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