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⑧[病気の壁を越えて~ルワンダでの新たな奇跡の始まり~] 憧れの大学生活

前回の投稿で、紆余曲折ありながらも、何とか憧れだった志望校に合格することができたところまでお話ししました。

今回は、その憧れの大学に入学してから、どのような日々を過ごしたかについてお話ししていきたいと思います。

4月 夢だった大学生活


大学に入学してから最初の一か月ほどは、本当に憧れていたような充実した大学生活を送れていました。

日中講義を受けて、夜は友達とご飯に行ったり自炊したり、休日は友達と遊んだり、本当に楽しい日々を過ごしていました。

これまでの学生生活は病気と共に歩んできて、青春という青春を送れなかった私は、ようやく友達と出かけたり、一緒に講義に出たりする楽しさを知れたのです。

しかしそんな日々も長くは続きませんでした。

5月 また始まった地獄の日々


入学して一か月ほど経過し、ゴールデンウイークを終えたあたりのこと、私は念のために通院していた精神科の病院で、パニック発作が出て痙攣し、意識を失いました。

そしてその時の失神の仕方が、てんかんの発作に似ていたということで、近くの脳神経外科に急いで行くように言われました。

結局てんかんではなかったのですが、その検査の最中にも発作が出て、その日はなかなか痙攣が収まらなかったので、緊急入院することになりました。

入院中は、意識が戻っては発作でまた失神しての繰り返しでした。

確かに、四月はとても充実していて楽しかったですが、初めての一人暮らしに、新しい人間関係、教師を目指していたので夜まである教職の講義と、本当に忙しい日々ではありました。

それが発作という形で、爆発してしまったのだと思います。

四日間の入院生活


入院中、意識はあったりなかったりで、起き上がることも話すこともできず、すごく辛かったです。

特に、トイレに行けないということで導尿されていた時は、トイレも自分で行けないのか、と自分がすごく情けなく感じ辛かったです。

また、ゴールデンウイーク最終日に入院が始まったので、入院中はこの間にもみんなはスワヒリ語の勉強をしているのか、とベッドの上ですごく悔しくなったのを覚えています。

6月 退院後


退院後に私を待っていたのは、悔しく辛い現実でした。

医師や学校から、強く休学を勧められたのです。

まだ入学して一か月ほどしか学校に行けていないのに、もう諦めなければいけないのか、自分には好きなことを憧れの場所で学ぶことすらできないんだ、ここでだめだったらもうどこに行ってもだめじゃないか、そう思い毎日泣きじゃくりました。

それでも、アフリカへの愛や熱意は消えたわけではなかったので、教授の勧めもあり、休学中にもう一度ルワンダに行くことにしました。

二度目のルワンダ渡航


ルワンダに行く目的は、自分の好きな場所で好きなことだけをし、病気を少しでも改善すること、この旅で自分は変わり、またあの憧れの大学に復学する、そう周りには伝えていました。

でも本当は、帰国したら自分で自分の人生を終わらせる、心の中ではそう決めていました。

三か月なんかで人は変わらない、好きなことを学べる環境でもうまくやっていけない奴はどこに行っても働けない、周りに役に立たないどころか迷惑をかけるなら死んだほうがましだ、ずっとそう思い込んでいました。

しかし、そんな考えは吹き飛び、今私はnoteやInstagramで自分のことを発信したり、クラウドファンディングに挑戦しようとしたりしています。

この数か月で私にどのような変化が起こったのか、何がきっかけで今の私がいるのかについては、また次回の投稿でお話しさせていただきます。


最後まで読んでいただきありがとうございました。
次回の投稿も読んでいただけたら嬉しいです。









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