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ひとりじゃ何にもできないと思っていた

 ハワイへ行ったとき、自転車を借りてラニカイ・ピルボックス・トレイルへ行った。これといって運動する習慣もなく、そもそも運動神経がないわたしにとっては、とても大きな挑戦だった。

 旅立つ前、大きな失敗をしたわたしは色々なところに謝罪しっぱなしで、泣かずに前を向くのが精一杯だった。よく泣かずに話せるな、と、その頃何度も言われた。泣いてはいけないと思っていた。かわいそうなのはわたしじゃない、泣いてもいいのはわたしじゃない。その意地だけが歯を食いしばらせていた。何をしていてもそのことを思い出し、自分のどうしようもなさに落胆した。がんばって笑おうとすると、よくそんなにやにやできますね、とも言われた。

 まいっていた。我慢しているうちに泣けなくなり、息をするのも下手になっていった。

 その出来事が落ち着き始めたころ、人生で3回目の海外旅行をした。ハワイは暑くて風が気持ちよくて、ごはんも美味しくてみんなが優しかった。泊まったホテルの1階で、海を見ながら朝食に美味しいオムレツを食べた。こんな幸せがあるなんて知らなかった。

 滞在中はたくさんの「初めて」があった。馬に乗った。本場のステーキを食べた。ずっと欲しかったブランドの腕時計を買った。ウミガメを見た。何度も何度も虹をみて、本当に奇跡みたいだなと思った。

 何日目かの朝、自転車を借りて出かけた。海沿いを走り、道に迷いながらラニカイ・ピルボックス・トレイルへ行った。着いて驚いた。え、これを登るの?わたしひとりで?無理じゃない?急な砂の斜面がいきなり立ちはだかり、滑りながら登っていくひとたちを見て、絶対無理、と思った。たとえ登れたとしても、たぶん降りられない。ひとりだし。絶対怪我する。そう思い引き返した、だけど。だけど。

 それじゃあ今までと同じだ。

 もしひとりでこれに登れたら。上からラニカイビーチを眺められたら。何の根拠もないのに、それができたら変われる気がした。息苦しい日々から、ただ泣かないだけの日々から、抜け出せるんじゃないのか。

 意を決して一歩を踏み出した。体がかたくて動かすのも下手なわたしは、最初から苦戦した。だけど手をついても、服が汚れても、息があがって不安になっても、絶対に振り返らなかった。

 2つ目のピルボックスに着く頃には、頭は空っぽになっていた。一人でも、知らない場所でも、ちっとも心細くなかった。まったく筋肉のない両腕でなんとかピルボックスによじ登り、ラニカイビーチを眺めた。

 なんだ、できたじゃん。

 そう思ったら急に泣きそうになった。悔しくて、じゃない。悲しくて、じゃない。なんだか胸がいっぱいになって、いろんな感情が混ざり合って、なんだ、大丈夫だと、うまく言えないけれど、泣きたくなったのだ。

 上に座っていたら、写真を撮ろうか、と言ってくれた人がいて、何枚か撮ってもらった。汗と涙で顔がぐちゃぐちゃだったけれど、ありがとう、くらいは英語で言えた。

 帰りは案の定滑って砂だらけになった。今度は笑っていた。すっかり心は軽くなっていた。

 ひとりじゃなんにもできないと思っていた。だけど、大丈夫だ。大丈夫だった。坂を降って海を見ながら、日本ではずっとできなかった深呼吸をした。ちょっとだけ自信を持ってもいいような気がした。

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