見出し画像

マタニティーブルーズがやってきて、去っていった。

「この子を可愛いと思えるようになってよかった。」

私はそう言って涙をこぼした。
出産してから1ヶ月半ほど過ぎた日のことだった。


2023年12月20日、16時49分。
母子手帳を見てみると、子どもの誕生日と時間が書かれている。
分娩所用時間は5時間55分。正常分娩、というハンコが押してある。
出産はとても面白くて貴重で、大切な体験だった。これについてはまた別で書こうと思う。めっちゃ長くなるから。


そんな出来事が一段落して、一夜明けた次の日。
私は自分が涙を流しているのを自分でコントロールできなくなっていた。

マタニティブルーズだ。

産後の女性の約3割が経験すると言われる状態で、抑うつや涙もろさが主な症状である。出産を経験した後の急激なホルモンバランスの変化がひとつの原因だと言われるが、放っておけば産後うつにつながる階段を登り始める合図でもある。
だから本当ならすぐにでも人に話した方がいい。悩みは人に話すだけで8割方解決しているってよく言うし。

でもね、できなかったんですよ。
何か話そうとするだけで涙が出てしまう状態だったものでして。
悲しくないのに涙が出てしまうなんて話そうもんなら、産まれた子よりも大きな声で泣きじゃくる自信があったんです。
だから誰かが病室に来た時は努めて明るく、隙あらば笑わそうとさえしていたんですよ。そうしないと泣いちゃうからね。
私は根っからの長女気質というか、人に悩みを相談したり弱みを見せることが心底苦手なものでして。負けず嫌いで見栄っ張り。プライドが高い。そんなもの要らないのにねぇ。

迷惑のかからない入院患者でいなくては、という変なこだわりを後生大事に抱えていたせいで、不安と涙は増えていく一方。面会に来た夫には話せたけれど、精神状態は何も変わらなかった。とにかく不安で怖くて、誰か助けて!!と心ではずっと叫んでいた。
気持ちをうまく吐き出せないままに退院して、育児が楽しめる筈もなかった。よく覚えているのが、退院翌日にひとりで赤子を沐浴させたときのこと。ふにゃふにゃの赤子の服を脱がせてベビーバスに浸けて、洗って拭いて保湿して着替えさせるまでおよそ15分。初めてにしてはかなり手際いんじゃね?自分すごくね??と今なら思えるけれど、もうこの生命体を死なせずに無事終われたことで気持ちがいっぱいになってしまって、ほかほかになった赤子の前でしゃくりあげるまで声を上げて泣いた。たぶん当時新生児の子どもも戸惑っていたんじゃないかと思う。ぐずっていたのが一瞬で止んだから。
さすがにこのままではヤバいと思い、退院して数日後、実母と義母にも私の状態を相談した。幸いなことに2人とも最大限に手を尽くしてくれて、実母は隣の家に住んでいることもあって本当にお世話になった。特に、退院数日後に実母が様子を見に来てくれた時、マタニティーブルーズが来てる、と泣きながら話したら

「ああ。そういうこともあるよね!いいんだよ!泣きたいときは泣きなっ!!」

と、まるで試合に負けた野球少年を慰めるかのように明るく言って去っていった。
と思ったらしばらくして

「これ飲みな!」

とマグカップに入ったほかほかの甘酒を持ってきた。

「いんだよ!泣きたい時は泣くん。ね!」

と上州弁で言い、また風のように去っていった。
母は強しだなぁーと思ってちょっと笑って飲んだ甘酒は、間違いなく人生でいちばんおいしかった。ほっこり甘く、温かさが内臓に染み渡っていくようだった。

マタニティーブルーズで勝手に涙が出てくる状態のことを、私は夫に
『自分の喉のあたりにトゲトゲした氷の塊があって、ふとした拍子にそれが暴れまわって涙が出てしまう。ぎゅっと抱きしめてもらったり、話を聞いてもらったりするとその塊は暴れるのをやめてちょっとだけ溶けるけど、決してなくならないでそこにある。』
と説明した。
母が持ってきてくれた手作りの甘酒は、その氷の大部分を溶かしてくれた。甘酒は私が子どものころから冬になると母がよく作ってくれていたもので、地元の酒蔵の酒粕を鍋に入れて一晩水でふやかした後、ストーブにかけながら砂糖を加えて煮た酒粕甘酒だ。煮上がってすぐは熱すぎて飲めないので、豆乳を足して飲みやすくしてくれていた。そんな優しさもありがたかった。

義母も心配して家を訪ねてきてくれた。沐浴を手伝ってもらったり、話し相手になってもらったり。来るたびにお土産をくれて、それはそれはよくしてもらった。

夫にもたくさん心配してもらった。慣れない育児に積極的に関わってくれて、ちょっとしたことに涙したりイライラする私の面倒も見て。元々マルチタスクが得意なタイプじゃないのに、家事に対する私の注文に精一杯応えてくれた。今では朝食の用意は夫の担当である。


そんな中で迎えた、赤子の1ヶ月健診。

産んだ産院で健診を終えたあとで、私はようやく助産師さんに心の状態を話すことができた。
話を聞いてもらって、ちゃんと育っていることを褒めてもらって、市の子育て支援課に繋いでもらった。1ヶ月健診から2週間後くらいには市の保健師さんが家に来てくれて、またお話を聞いてもらった。
第三者に話を聞いてもらうたびに、少しずつ私の中の氷の塊は小さくなっていった。

出産して3ヶ月が経とうとしている今、まだ日によっては気持ちが落ち込んでしまうこともあるけれど、氷の塊は居なくなった。
もっと早く、心の状態を専門家に相談できていたら。もっと早くから育児を楽しめていたのかもしれない。それだけは心残りだ。
戻れるものならあの日、ひとりで娘を沐浴させた後で泣きじゃくる私を抱きしめて言ってあげたい。

大丈夫だよ。
あなたはちゃんと、心の底から、娘を可愛いと思えるようになるよ。
あなたはちゃんとやれているし、娘は何よりすくすくと育っているよ。
それにあと2ヶ月もすると、娘はあなたの顔が見えると何よりも嬉しそうに笑うようになるよ。
ママだけじゃなくパパや、色んな人にニコニコと笑いかけて、あうあうとおしゃべりするようになるんだよ。
それも、壊れそうな心を必死に抱えながら生きてくれたあなたのおかげなんだよ。

ありがとう。

この記事が参加している募集

育児日記

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?