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銭湯で知り合った見知らぬおばちゃんと鬼滅の刃を観に行く。

「ねぇ、鬼滅の刃って知ってる?」

数ヶ月前のこと。
銭湯で顔見知りになったおばちゃん(Hさん)が、ある日突然話しかけてきた。

知ってますよぉー。観てました!
私はニコニコしながら答えたと思う。
意外とこの人アニメ好きだったんだな、と思ってしばらくおしゃべりした。

「禰豆子ちゃんってかわいいわよねぇー!!おばさん大好きなの!!」
「水の呼吸!!」

嬉しそうにお話しながらポーズをとっているHさん。

あはは。いいですねぇ。
でもそのポーズはどっちかっていうとEXILEのRising Sunじゃないかと思うけど。
そして何よりお互い素っ裸なんですけど。

それから銭湯でお互いを見かけるたびに、鬼滅の話で盛り上がることになった。
「やっと映画が公開されますよ。10月に」
「観たいねぇー!でも鬼が出るよね!血が出るよね!?怖いよね!」
「大丈夫ですよ。怖かったら目をつぶりましょう!」
Hさんはお友達が『アニメなんか子供が観るものでしょ!』と一緒に映画を観に行ってくれないのだと言っていた。
ひとりで行くのもねぇ……と寂しそうにしていたので、なんとなーくそのことが気にかかった。
お互い銭湯で会うだけの、ただの顔見知りだ。
でも私は今度もしHさんに会ったら、映画に誘ってみようと考え始めていた。

それから何週間か経ったある日のこと。
めんどくさかったりなんとなく予定があったりして、しばらくその銭湯へは行けないでいた。
久しぶりに寄ってみようと思って中へ入ったのだが、Hさんはいなかった。
いつものように体を洗ってお湯に浸かってさぁ帰ろうかと脱衣所へ行くと、

「あれ?今日は早いね!」

後ろからHさんが声を掛けてきた。
チャンスだ。

「鬼滅の刃、一緒に観に行きませんか。」

にっこり笑って言った。
「うん!行こう行こう!!」
初めてのデートのお誘いをHさんは快く受けてくれた。
それからサクサク観に行く日を決めた。
平日の1番最初の回。お互い会員になっている系列の映画館で観ることにして、オンラインでチケットを予約することにした。
私が予約しておきますよと言うと、Hさんは「あたしはシニア割だから!」と会員カードを見せてくれた。その場で会員番号だけメモらせてもらって、じゃあその日に!とそのままバイバイした。

帰ってから気がついたのだけれど、私はHさんの本名を知らない。
しかも連絡先の交換すらしていなかった。
……これは、もし行けなくなったらどうしたらいいんだろうか。
いやこの場合、意地でも当日観に行け!ということなんだろう。携帯電話やスマホをもっていなかった時代なら、こんなの当たり前のことだったはずなのだ。
ドタキャンとか遅刻するとか、そんなこと考えもしないで約束したらその日その場に行くことが当然!という、当たり前のことをするだけなのだ。
なんだか小学生の頃に戻ったような気分で、ウキウキとその日を待つことにした。

そして迎えた当日。
映画館へ行くと、マスクをしたHさんが手を振っていた。
予約していたチケットを発券してHさんに渡す。
ちょうど入場が始まる時間だった。
2人でいそいそとスクリーンへ向かう。
座席は、鬼が怖いとHさんが心配していたので1番後ろの席を選んであった。グループごとに1つずつ空けてとられていて、後ろ3分の1が埋まっているような状態だった。
映画が始まるまでの時間、私は隣のHさんとずっと喋っていた。次に公開になる映画の予告編が流れ始めたけれど、これは面白そうだねとか、これは観たいねとか、お互いに感想を言い合っていた。Hさんはジブリ好きで、エヴァンゲリオンも好きらしい。車を運転する時はアニメソングを流しているのだと教えてくれた。正直この年代の女性がここまでアニメ好きだとは思わなかった。私はなんだか嬉しくなってしまって、Hさんの話に終始うんうんと頷いていた。予告編の合間に話していると、本編が始まった。


鬼滅の刃の劇場版は、アニメの内容の続きから始まる。
Hさんが1度「ツタヤに置いてある鬼滅のDVDがなかなか借りられない」と言ってきたことがあった。アマゾンで全部観たんだけど続きが気になってるのよねぇ、と。
Hさんに「アマゾンで観たやつが今アニメになってる全部ですよ」と言うと大層驚いていた。配信とレンタルの違いがうまく分かっていなかったらしい。かわいいひとだな、と思った。
配信で全部観たのにDVDのレンタルまでしようとしていたのだから、相当気に入っていたんだろう。
私だって、映画が5月12日に公開になることをずっと覚えていて、それが昨今の状況で延びに延びて今に至っていることをHさんに伝えたくらいだ。
そんな私たちの期待を遥かに超える内容の映画だった。
確かにHさんが怖がっていた流血シーンはあったけれど、画面の作り込みの綺麗さに圧倒されて怖いとは思わなかった。物語の流れにうまく翻弄されながら、クスッとなったり、ハラハラしたり。思わず涙してしまうようなシーンでは、隣でHさんも涙を拭っている気配がした。
ネタバレを避けたいから何も書くつもりはないけれど、最後には着けていたマスクがビッショビショになるくらい号泣してしまった。
映画が終わって照明が明るくなって、私たちは半ば放心状態で「よかったねぇ…」と呟き合っていた。続きがあったらまた観に来ましょうね、と言いながら。


『悔しいなぁ 何か一つできるようになっても またすぐ目の前に分厚い壁があるんだ
凄い人はもっとずっと先の所で戦っているのに 俺はまだそこに行けない
こんな所でつまずいてるような俺は 俺は…
煉獄さんみたいになれるのかなぁ…』

スクリーンを出てトイレに寄りながら、私の頭の中で炭治郎のセリフがずっとぐるぐるしていた。

そうなんだよね、ホントに。
ずっとずっと壁にぶつかってばっかなんだよね。
でも凄い人は、もっとずっとずっとずーっと、壁にぶつかり続けて諦めなかった人なんだよね。
自分がそうなれるのか、悔しくて怖くなるよね。

映画の中の炭治郎の無意識は、どこまでも澄んだ青い空が広がっていた。
私は煉獄さんみたいに灼けるような情熱を持てないかもしれないけれど、炭治郎のような心の広さや綺麗さなら目指せるような気がする。
だから、頑張るよ。
私も、君が強くなるためあんなに努力したように、頑張ってみるよ。
今日映画を観てよかったと、心から思った。


帰り際Hさんがお礼にと、それは大きな林檎をくれた。
真っ赤でツヤツヤしていて、まるで茶目っ気たっぷりに笑うHさんみたいだ、と思ってありがたく受け取ることにした。
「また一緒に映画観ましょうね!」
丁寧にお礼を言ってバイバイした。

さて、次は何の映画にしようか。
相談しようにもHさんとの連絡手段は銭湯で直接会うことのみ。
ずいぶんと不自由な関係性だけれど、私は出来る限りずっと続いて欲しいな、と思っている。

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