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京都の市バス206号系統

孫の子守りに行った帰り、京都駅でただ乗り換えるのが物足りなくて、少し観光気分を味わいたくなった。

前日も八条口のイノダコーヒーに入って、伊勢丹の地下でお惣菜を買っただけだったから。

で、ちょっとだけ市バスに乗って、行きたかった神社に参詣することにした。

それが絶対混雑するので、いつも避けている東山方面だった。

週末とは言え、さすがに真冬の午後3時だ。
駅前のバスターミナルはさほど混雑していない。
思い切って206号系統のバスに乗った。

少し走り始めたところで、市バスの運転手さんの大変さがわかった。

京都の市バスは真ん中あたりから乗って、降車時に運転席の横で料金を払って(交通系カードならピッとやって)降りる方式だ。

にもかかわらず、前の扉から運転手さんに声をかける人の多いこと。

「このバス、美術館行きますか」
「京都駅に行きたいんですが」

自分で調べて来んかい!と言いたくなる。
意地悪じゃなく、あれだけ縦横無尽にバスが走っていて、みんな行きたいところもあちこちにあるのだ。
バス停にも書いてあるんだし、自分の行きたいところくらい予習しておこうよ。

今回の運転手さんは、不躾な聞き方をする人に対しても丁寧に答えていて、頭の下がる思いがした。

ただ、どう受け止めたらいいのかわからないシーンにも出合った。
帰りのバスの、確か三十三間堂あたりだったと思う。

降車ドアの外から、70代らしき女性が大声で訴えた。

日本語だったけれど、もしかしたら外国人かもしれない。
叫ぶように、どのバスも乗せてくれなくていつまで待てばいいの!?と言っている。

しかし乗ってる私でさえ、さっきから隣の外国人の大きなトランクと折り畳んだベビーカーに足首をグイグイやられているほどなのだ。

そのバス停で乗れたのは2、3人のようだった。

「申し訳ありません、次のバスに乗ってください」と言う運転手さん。

閉まるドアに向かって、女性はまた泣き叫ぶように何か言った。

発車するバスの窓から、その女性の方を見た。
ご主人らしき車椅子の男性が一緒だった。

夕方の風はもう冷たくなり始めていて、老夫婦はどうやって京都駅に戻るのだろう。

でも、あの辺りからならタクシーでもそんなに高額にはならないだろう。
バスを何台も見送るなら、ご主人を早くタクシーに乗せてあげてと思った。

インバウンドの戻りつつある京都で、誰もが楽しむのって難しいことなのだろうかと考えながら、ひとり新幹線の改札に向かった。

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