ありふれてるものアート
毎日みているはずのなんでもない日常の風景が、突然アート作品のように別の意味をもってみえてくる瞬間がたまにある。
今日は、カーテン。
そのときわたしは部屋のなかにいて、なんの気なしに、レースのカーテン越しに透ける外の景色をぼーっとながめていた。
窓の外にあっていた目の焦点を、次にレースのカーテンにあわせ、引き続きぼーっとする。
ぼーーーーーっ。
ふと、そのカーテンの描く光の陰影がどうにもうつくしい、と気づく。
ああ、これはいい、と見惚れてしまうのだった。
デザイナーズブランドでもなんでもなく、ホームセンターのまとめ買いで買った、安物のレースカーテン。見ようによっては単に、生活感のかたまりにすぎない。
でも見ようによっては、光をやわらかに受けてやさしい影を描くアート作品みたい。
そういう、生活のなかにありふれているものが見せてくれる側面というか、ふとした横顔がとても好きだ。
以前あげた写真「だいこん」もそう。この1枚だけを突然見せられて、「あ、だいこんだね!」と即答するひとはかなりまれな気がする。
よく口にするはずの野菜でも、まだまだ知らない一面があるもの。
このときは料理中にスライスしていてふと、ああ、きみにはこんな表情もあったのねと、ちいさな発見にこっそり、うれしくなったのだった。
べつに、それによって世界ががらりと変わるわけじゃない。ただ、少なくとも自分から見える世界はけっこう変わるし、それによって毎日の「あたりまえ」のことが今よりちょっと楽しくなる。
毎日のなかでありふれているもの、とるにたらないもの。改めて目を向けようとも、なかなか思わないもの。その中にあふれているおもしろさに気づけたほうが、確実に日々が楽しい。
私たちの人生のだいたいは、ありふれた毎日だからこそ。
自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。