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ぼうっとしながら買い物しない

ドラッグストアのレジで、ポイントカードと割引クーポンを渡し、さあお金を払おうと財布を取り出そうとしてリュックを前に持ってきた。

……ところで、リュックのファスナーががばっと空いていることに気づく。

そして、そこにあるべき財布が、ない。

“え、あれ?! どういうこと?!  何?盗られた??”

荷物が少ないので一目瞭然のところ、反射的に手を入れてがさごそしてみるが、やっぱりどうみても財布はない。

“うそでしょ?! いつから? さっきスーパーで買い物して……。しまおうとして落とした? でもファスナーのこの開け方、やっぱすられた?日本で?え、商品をぼうっと見ている間に?! でも、ありえる!”

一瞬のうちに脳内にいろいろな憶測がかけめぐり、パニックになりかける。

ひとまずはレジのひとに「すみません、財布を落としたようで……」とつげ、ポイントカードなどの処理をしてもらっているのを上の空で聞き、そそくさと店を出た。

* * *

どうしよう、どこで盗られた? もしくは落とした? 

というか本当にそうなら、まずクレジットカードとか止めなきゃ。こうしている間にも悪用されてしまうかも。どうしよう。あとなんだっけ、何が入っていたっけ……。

頭の中で急にどくどくと血液が波打ちはじめたのを感じながら、まずは手荷物をおいてもういちどリュックの中を確認しようと、近くのベンチに駆け寄る。

買い物袋をベンチに置き、落ち着いてリュックを捜索したらなんのことはない、財布は同じリュックの、別のポケットの中にちん、と鎮座していた。ふだんならいれない場所に、ぼうっとしていた自分自身が無意識にいれたのだ。

ああ、なんだ! あった! よかったああああ。

一瞬のうちに安堵の気持ちが押し寄せる。ああ、ほんとうによかった。すぐさまドラッグストアのレジへ戻り、お騒がせしてすみませんと一時取り置きしてもらっていた品を購入して、無事、娘のオムツやらおしりふきやらを手に深呼吸しながら店を出た。

* * *

娘が熱をぶりかえしたり、咳が苦しくてなかなかお昼寝できなかったり。午前中に帰省先のこちらで小児科へ行ってここで打てる策はとりあえず打ったものの、いろいろと気になって娘のことで頭がいっぱいになっていた。

夕方、両親に一時的に娘をあずけてスーパーとドラッグストアへ買い出しにでかけたのだけれど、常にどこか頭の片隅で心配事を抱えながら、ぼうっと商品を選び、かごにいれていた。財布を最後にさわった記憶がすぐに呼び戻せなかったのも、無意識に変な場所にしまったのも、開けたファスナーを閉め忘れたのも、このゆえん。

そんな上の空っぷりで買い物をしていたものだから、冒頭、ドラッグストアのレジ前で「財布がない」と気づいた(勘違い)したときの現実への引き戻され感と、ヒヤリ感といったら半端なかった。

なんというか“うわあ、ありえる!”と思ってしまったのだ。

実はわたしはワーキングホリデーでオーストラリアへ到着して間もないころ、一度だけ財布をすられてしまったことがある。

あのときはたぶん新しい土地へ来たことに浮かれていて、そういう意味でぼうっとしていた。

シドニーの洋服を売っている量販店のようなところで、小さなショルダーバッグをあろうことか後ろ側にかけたまま、洋服をふんふーん、と選び、気に入った数着を片手に試着室へ入る。

試着室でショルダーバッグを肩からはずし、フックにかけた――ところで、閉まっているはずのそのバッグのファスナーが、なぜか全開になっていることに気づく。

"え?”

驚いてカバンの中を確認すると、財布だけがきれいになくなっていた。

やられた!である。わたしが洋服をのんきに物色している間に、わたしはいいカモとして誰かから物色されていたというわけだ。背後に密着するくらいの位置に一瞬でもだれかがいて、ファスナーを開け、財布をとっていったはずなのに、のんきなカモはまったく気づかなかった。

泣きそうになりながらシェアハウスに帰り、シェアメイトに片言の英語で泣きつきながら冷静さをわけてもらい、クレジットカード会社や銀行に連絡してカードを止めてもらった。

採用が決まったばかりの現地の編集部に、まだ働く前から事情を話し、給料の前借りをお願いしたのも思い出深い……。あのときは生きるために必死だったけれど、いま考えればよく快く引き受けてくれたものだよ、編集長。

* * *

そんなことがあったものだから、今回リュックのファスナーががばっと空いているのを見たとき、デジャヴ感がすごかった。

まっさきに、“やられた!?”と思ってしまったのだ。

「人がしょっているリュックからリアルタイムで、ショッピング中にすられる」って、日本ではまずめったにありえないという感覚でもある。それでもほんとうにありえないかと言われると“ありえる”ことも実体験で知っていたから、「うわ、まじかわたし、よりによってこんな治安のいいといわれる日本でも、あまりにぼうっとしていて? まじか!」と一瞬のうちに思ってしまったのだ。

今日はずうっと娘のことで地味にひやひやしたりしていたけれど、瞬間ヒヤリ指数でいったらまちがいなく、冒頭の瞬間が第一位だった、というお話。

何かのことに気をとられているときというのはだれにでもあると思うのだけれど、別の行動をするときは、ちゃんとその瞬間はわりきって、頭をしっかり切り替えないとなあ、と思ったのでした。車や自転車の運転でも、ぼうっとしていたらとりかえしのつかないことにつながったりするし。

ああ、どきどきしたなあ。

自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。