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祈り

東日本大震災から、13年が経った。

いつ頃からか、私は3月11日14時46分にはNHKの中継と一緒に黙祷をするようになった。
今年も5分前にアラームを鳴らし、テレビの前で正座してその時を待った。


あの日。私はまだ幼稚園児だった。
園から帰るとすぐさまテレビの前に座り込んだ。いつものように『おかあさんといっしょ』を観ようとしたけれど、画面右下には日本地図が表示されていた。縁が赤色や黄色に点滅する日本地図は、画面から一向に消えない。とても邪魔だなと思った。
私の頭に残された当時の記憶は、これのみである。
それでも、あの頃の大人たちのどこか忙しない様子や、どんよりと暗い感じをなんとなく覚えているような気もする。

ほどなくして母が自家用車のオーディオに猪苗代湖ズの『I love you & I need you ふくしま』を入れた。何回も何回も繰り返し、その曲は流れた。
何かあると「がんばろう日本」と言うようになった。小学校の児童会と中学校の生徒会とが連携して、気仙沼市のある中学校へ義援金を送ろうとアルミ缶回収の取り組みが始まった。『花は咲く』が鼻歌のひとつになった。

震災がどれほど大きく、惨たらしいものであったか、少しずつわかった。


あれから13年。元旦に起こった能登半島地震からはや2ヶ月が経とうとしているように、東日本大震災はだんだんと私たち、いや私の「今」から遠ざかっていく。まだ故郷に帰還できない方々も多くいるというのに。実際に被害を受けていない人間の認識など所詮その程度なのかもしれない。
だからこそ、せめて今日だけは震災のことを思い出す。特集番組を見、『3.11』で検索をかけ、そして黙祷をする。

震災によって命を落としたすべての方々へ。
あの日から行方のわからなくなっているすべての方々へ。
自然災害において犠牲になる人がより少なくなる日本を、私たちが必ず創っていきます、と。

ただの子どもの分際で、私は黙祷の内にこんな生意気なことを考えている。


けれども、いまこの世に生きている私が彼らに向けて誓わなければならないのは、こういうことなのではないかと思うのである。
この決意が、鎮魂の祈りとして犠牲になられた方々のもとへ届いてくれると、私は信じている。



テレビから流れる一分間のサイレン、ラッパ、鐘の音の中に、私の祈りが溶けていった。


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