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透明な軸

クラスに、文章を書くのが本当に上手な友だちがいる。
その人は作文コンクールで学校代表になり、都道府県の規模で賞をもらっていた。私より何倍も本を読んでいて、映画もたくさん観ているらしい。その人は、カズオイシグロのこの本、おもしろいよ、と私に教えてくれた。私はカズオイシグロの本を読んだことはなかった。

仮に、Aさん、としようか。

みっともないことを言うけれど、私はこれでも国語は得意な方だと思っている。模試や定期テストではまあまあの点数を取っているし、Aさんより順位が高かったこともある。
でも、私とAさんには明確な違いがあった。それは、Aさんは記述の問題がとても得意だということ。スープの上澄みを掬うかのごとく薄くて浅い私の文章とは違って、Aさんの文章は先生方にも褒められるほど優れているという。
とは知りながらも、実はまだその作品を目の当たりにしたことはなかった。

それが今日、ついにこの目で見る機会を得たのである。

文学国語という授業の時間に解いた、あるエッセイを本文とした大学入試の問題。
私が尊敬してやまない担当の先生が「Aさんの記述、読ましてもらえ。すごいぞ」とおっしゃるので、みんなで寄ってたかってAさんの答案を読ませてもらった。

一本の、まっすぐで透明な軸が通っているような解答だった。
理科の実験でビーカーに液体を注ぐときに使うガラス製の棒。あれが、Aさんの記述にはすっと通っていた。まったく無駄がない。必要な要素だけを逃すことなく組み込みながら、それでいて浅くもない、“軽くて重い”文章。文意を見失わず、初めから終わりまで一貫している。後に配られた模範解答より、ずっと美しかった。


私もAさんのような言葉を綴りたい。
一本の揺るがぬ軸をもって、思いを伝えられたらきっと誰かの心を動かすことだろう。

ふんす、
鼻息を荒くして、私は図書室に大股で歩いて行った。前から読みたかった谷崎潤一郎の「春琴抄」を借りてきた。

何事も形から入るタイプ。なんとも浅はか。


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